勝谷誠彦が問う、誰でも手を差しのべる社会は「幸せだろうか」 日々嘆くニッポンの“バカ基準”

社会週刊新潮 2016年11月10日神帰月増大号掲載

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■バカな私が日々嘆くニッポンのバカ基準(下)

勝谷誠彦氏

「私はかなりのバカである」。自身をこう称する勝谷誠彦氏が嘆くのは、“バカを基準”とした日本社会の姿だ。例えば、「危ないので白線の内側に下がって下さい」「入ってくる列車の風圧に押されることがあるので、気をつけて下さい」の鉄道放送。氏に言わせれば、「そんなもので死ぬ奴は死ねばいい――」。

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「淘汰」をタブーだとしたのが「バカ基準」の原点だ。どんな動物の社会でも「淘汰」はある。私にとってはどうでもいいのだが、人類は文明を築いてきて、弱者を助ける仕組みを作った。それはそれであってしかるべきだろう。しかし通常の社会に適応すると考えて動いている連中に、どこまで手をさしのべるべきか。あまたの国を歩いてきたが「助けて」と言う人々には優しい。しかし一人前の社会人として出勤する連中に「風圧に気をつけて下さい」とは言わない。過剰と言うべきである。

 やや外れているようだが実は外れていない。「バカ基準」の基本はそのあたりにありそうなのである。今の日本国は「誰でも手をさしのべて助けてあげる」ようになっている。それははたして、社会全体として幸せだろうか。そのために「みんなが平等だよ」と基準をバカのレベルに下げている。よろしくない。バカにはバカと言ってあげる方が、相手の人生にとってもよろしいかと私は思う。

■正しいバカの使い方

 バカというのはあくまでもこちらの価値観であって「なにくそ」と思えば、私たちにバカだと思われない生き方をすればいいのである。私はそれを大いに認めるものであって、日本史の上でもかかるリベンジをしてきた英雄は多い。

 バカという言葉を蔑視だと考えるのがいけないのだ。「あいつバカだね」と私は子どものころから言われてきたが、最大の賛辞だと考えていた。本当のバカは突き抜けている。ところがその正しいバカの使い方を今の日本国はできていない。

「ダメな意味のバカ」をまず認識することだ。それをひとつのラインとして「バカ基準」を作る。ひとつ提案するなら「あいつ、ライン以下のバカだね」ということは、このことを意味する。「あいつバカだね」のある意味の賛辞とは違う。この「バカの意味」についてはどんどん論議をしていただきたい。

■バカに媚びるな

 バカ基準が突き抜けると次のバカを生む。ATMの「暗証番号に誕生日などはおやめ下さい」という表示などは、まったく余計なお世話である。敢えてそうしているひとだっているだろうよ。もう、実際の入力までにいくつもそういう表示が出る。「バカ基準によって、大切な時間が使われている」ということだ。バカはバカでそこで騙されればいいのだ。自業自得である。なぜ、良民常民までが、バカの時間につきあわなくてはいけないのか。

 詐欺が連発すれば「これだけ言われているのに、まだ騙されている『愚民』への世界の嘲笑」と、タイトルまでちゃんと考えてあげて、私が「週刊新潮」に書く。国を出れば、もっとシビアなところで自分を護らなくてはいけない。そんなもんでとられるカネは授業料だと思っておけ。

 うん、これがかなり私の「バカ基準」に近いのかも知れない。朝日新聞などは「良民常民基準」なのだが、そんなにみんな賢くない。「バカ」とはバカにしているのではなく「こんなもんなんだよ」だ。そこと比べてどうなのかなあ、という意識は私の中にある。ところが、朝日などはいつもは違うくせに自分を持ち上げるところでこっちを持ちだして来る。だから「バカ基準」。長い原稿なので書いているうちに揺れてきたなあ。決して「バカ」をバカにしていないという自覚はあったが、かくも愛して、こだわっていたか。

「バカ基準」をいろいろ考えているのが、いちばん「バカにつきあっている」のではないか。ひとはそれぞれ自分で身を守るのが原則だ。たとえば私が知る海外の国々には「バカ基準」はない。「バカなひとびと」はいて、バカにされているだけだ。しかし日本国では「バカなひとびと」と呼ぶのはタブーである。その「ひとびと」の基準が、すべてに当てはめられているのが「バカ基準」ではないか。

■基準線を引く

「バカ基準」という言い方は自分でも品がないと思う。しかし、若干、真っ直ぐだとも思う。表立って使うことはなくとも「でもこれ、バカ基準だよね」と心の底で思うひとびとが出てくれば面白いなあと、コラムニストは考えるのである。

 基準線を引くのが、大マスコミであるのは力を持っているから当然だが、私たちの心の中でも引くことができればいいのではないか。「これ、バカ基準だよね」という会話はなかなかしにくいのかなあ。「どうして、こんなことをいちいちチェックするの」という思いは日々、あるだろう。それこそが「バカ基準」への入口なのである。

 本誌(「週刊新潮」)でもそうだ。誰かが「それ、おかしいんじゃないの?」、もう一歩踏み込んで「バカに媚びすぎじゃない?」。そのひとことが文化文明を維持していくのである。敢えて、言っておくことにする。

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 バカな私が日々嘆くニッポンのバカ基準(上)はこちら

特別読物「バカな私が日々嘆くニッポンの『バカ基準』――勝谷誠彦(コラムニスト)」より

勝谷誠彦(かつや・まさひこ)
1960年、兵庫県生まれ。私立灘高校を経て早稲田大学卒。文藝春秋社に入社し記者として活動。現在は小説家、コラムニストとして活躍。食や旅のエッセイで知られる。