“一家心中する”に泣きじゃくった小池百合子…「父」との知られざる関係
2016年8月に就任して以降、小池百合子東京都知事の言動は世間の関心を集めてきた。17年の都議選を見据えた新党の立ち上げも取り沙汰されるが、意外にも都知事本人の素性については、これまで語られてこなかった。
「新潮45」1月号に掲載の『小池百合子研究 父の業を背負いて』で、ノンフィクション作家の石井妙子氏が注目するのは、父・勇二郎の小池氏への影響だ。
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〈「芦屋生まれの芦屋育ち。父は石油を扱う貿易商で、何不自由なく豪邸に育ち、お嬢さん学校として知られる甲南女子中高に進学した」
そんな風に彼女の経歴は語られがちだが、内実は少し違ったようだ〉※〈〉は本文より引用、以下同。
と石井氏が書くとおり、昭和27年に生まれた小池氏が育った家は、いわゆる芦屋の豪邸街とは離れた場所にあった。父は“貿易商”以前に闇屋稼業などに携わっており、戦時中は右翼的な思想団体「スメラ塾」のメンバーとして活動していた経歴の持ち主だ。
〈このスメラ塾で叩きこまれた、一種独特な思想や世界観を戦後も勇二郎は手放すことができず、幼い自分の息子(※小池氏の兄の勇)や娘にも語って聞かせたという。政治家・小池百合子の少々、右派的な歴史観も、ここに由来するのかもしれない〉
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「一家心中する」
石井氏が“破天荒”と形容する勇二郎は、政治好きの人物だった。昭和44年には、衆議院選に兵庫二区から立候補。わずか7千票しか獲得できず落選に終わる。この時には事業が揺らいでおり、
〈百合子は選挙中、「落選したらどうなるの」と母に聞き、母は「一家心中する」と答えたという。高校生の百合子は落選の日、事務所で泣きじゃくっていたというが、心中という言葉が頭によぎっていたのかもしれない〉
小池氏はこの1年余り後、関西学院大学に入学、半年後に退学し、カイロへの留学を決めている。小池氏自身は“アラビア語の通訳になることを目指して”とその理由を著書で説明しているが、
〈関西にはいたくない。破産するかもしれない親がいる。その波をかぶらないように、自分で自分を養い、生きていかなくてはならない。そう考えたとき、彼女は決断し、カイロへと渡ったのではないだろうか(略)彼女のサバイバルな、挑戦し続ける人生はここから始まっている〉
と石井氏は読む。小池氏が3歳年上の日本人留学生との短い結婚生活を始めたのも、カイロ大在学中のことである。
父親のことに話が及ぶと…
これ以降の愛憎劇ともいえる父娘の関係については、詳しくは「新潮45」本誌を参照されたい。いずれにせよ小池氏は、
〈比較的最近まで、取材者の間では「父親のことに話が及ぶと顔色が変わる」と言われてきた〉
というから、父への想いが複雑なものであることは間違いない。