母は十年かけて少しずつ死んでいった。体中の機能が失われていき、やがて口を動かす機能が失われた。口が動かなければ食べられない。ある日、母のからだに直接栄養剤を送り込むための胃瘻の手術をし、その帰りがけに、中華料理屋で母のいない食卓を囲んだ。母が二度と食べることのなかった、あの餃子の味を、私は忘れることができないだろう。
あれは生きながら母を弔う通夜だった。母が少しずつ死に向かう間、私は突き動かされるようにして、濃厚に死の匂いのする現場に入り、『エンジェルフライト』で国際霊柩を、『紙つなげ!』で被災者の再生を描いた。...
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麻央の病状を伏せながら…海老蔵が見せた演技に「肝が据わっていて、別格でした」
市川海老蔵(38)が記者会見で、妻・小林麻央(33)の進行性乳がんを打ち明けたのは、去る6月9日のことである。診断から1年8カ月、すなわち600日が経過していた。
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成田屋の関係者が明かすには、
「麻央の看病、4歳の長女・麗禾(れいか)ちゃんと3歳になる長男・勸玄(かんげん)くんの送迎や“お相手”などは麻央の母親と姉の麻耶が担当。逆に、海老蔵の仕事周辺のサポートは彼の母である希実子さんが受け持ってきました」
姉の麻耶(36)は、テレビとラジオを合わせて5本のレギュラー番組を持つ売れっ子だった。...
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