海老名香葉子「がんで亡くなった主人が背中を押したのかも」 がんに打ち克った4人の著名人(1)

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「どうもすいません」と額に拳を当てる仕草で、“昭和の爆笑王”の異名をとった初代林家三平。その妻にしてエッセイスト、作家としても活躍する海老名香葉子さん(83)の体にがんが見つかったのは、2009年のことである。

海老名香葉子さん(83)

 きっかけは、持病のある心臓を診てもらっていた主治医が、大学病院の検診センター長に就任したことだ。その医師と話した際、人間ドック受診の誘いを受けた。もっとも、最初は色々、調べられるのが嫌で、気が進まなかった。しかし世話になった恩もあると考え直し、検査を受けたのだ。

「肝臓がんで亡くなった主人が、背中を押したのかもしれないわね。操られているようなときがあるから」

 受診は大正解。左の胸にしこりが見つかったのだ。「がん?」と尋ねる海老名さんに、その可能性が高いと医師は告げた。だがさほど動揺しなかったという。

「自信があったんですよ。私のこのオッパイ、自分の4人の子ども以外に、近所の子どもにもあげていましたから。母乳の出がよくないお母さんの代わりにね。少し押しただけでピューッと飛ぶぐらい元気なオッパイだったの。だから手術すれば治るだろうと」

■三平が涙をため…

 そこからは、まさに三平さんに「操られている」かのような流れになる。

 検診でがんを発見した医師が「乳がんでは日本一」と太鼓判を押す、聖路加国際病院乳腺外科部長(当時)の中村清吾医師(現・昭和大学医学部乳腺外科教授)を紹介されるや、翌日には、中村医師の診察を受けた。検査の結果、幸い早期で、乳房温存手術が可能なレベルであることが判明した。中村医師は2日後には海外出張を控えているため、急遽、次の日に手術を受けることになった。

「痛みもなく、本当に手術したのかしらと思いました。だからよく眠れた(笑)。麻酔から覚めたら体中すっきり! 仕事でよほど疲れていたんでしょうね」

 いたって脳天気な当人とは裏腹に、子どもや弟子は深刻だった。次男(二代目三平)などは居ても立ってもいられなかったのだろう、スーツにネクタイ姿で、中村医師を訪ね、涙をためて、「母の病気はどうなんでしょう」と訊いたという。

 経過は順調で、手術から5日目に退院、9日目には鹿児島に飛び、講演ができるほどまでに回復した。少し間を置いて、3カ月間の放射線治療を開始したが、その時、心がけていることがあった。

「それはね、暗い表情で家に帰らないこと。病院にいると表情が暗くなりがちでしょ。だから治療を終えると、日本橋や銀座に寄って、ソフトクリームなどを食べて、明るい顔で“ただいま!”と帰宅しました」

 それは、ある知人から“病気になっても病人にはなっちゃダメ”と言われたから。病気に取り込まれるな、というわけだ。さらに、

「主人が亡くなる直前に遺言のように口にしていた言葉があるんです。“明るく元気で一生懸命に生きなさい”って。私は、当時も今も、それを実行しています」

「特別読物 がんに打ち克った4人の著名人 Part4――西所正道(ノンフィクション・ライター)」より

海老名香葉子
1933年生まれ。10月15日「三平堂落語会 第200回記念公演」。

西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年奈良県生まれ。著書に『五輪の十字架』『「上海東亜同文書院」風雲録』『そのツラさは、病気です』、近著に、『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。

週刊新潮 2016年10月13日神無月増大号掲載

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