都から東京ガスへ天下った練馬区長、「豊洲問題の戦犯と言われるのは心外」

政治週刊新潮 2016年10月13日神無月増大号掲載

 豊洲移転で重要な役割を果たし、その後は東京ガスへ天下り――。元都庁幹部の前川燿男(あきお)練馬区長(70)は、石原慎太郎元知事や浜渦武生元副知事、内田茂都議らと一緒に豊洲利権に与った、と疑われている。しかし、ご本人に取材すると、意外な事実を語るのであった。

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14年4月、練馬区長に初当選(練馬区長 前川あきおオフィシャルホームページより)

 まずは前川区長の経歴をご紹介すると、東大法学部を卒業後、都庁に入庁したのは1971年4月。02年知事本部長、04年知事本局長となったが、

「前川さんは知事本部長・本局長として、都と東京ガスの間の2つの文書にサインしています。豊洲の土地を市場にすることの合意書(02年7月)、豊洲における汚染土壌の処理方法についての確認書(05年2月)に署名した後、05年9月、東京ガスへ天下っている。要するに、東京ガスに莫大な利益をもたらし、その功績で天下ったのではないかと疑惑が持ち上がっているのです」(都政担当記者)

 事実ならトンデモない話である。以下は前川氏の話。

「私が石原さんや浜渦さんと一緒になって、おいしい思いをしたですって? 彼らとはあれだけ苦労して戦ったのに、何でそんな話になるのか。納得いきません」

 石原氏が都知事に就任した時(99年4月)は、都職員の多くがその手腕に期待したという。しかし、石原都政が良かったのは1期目だけで、

「2期目以降は問題が多かった。特に、浜渦さんは自分の意に添わない幹部職員を徹底的に排除していったのです。私が福祉局長として実現した認証保育所の開設は都民の受けが良く、おかげで、知事本部長に起用されました」

 知事本部(04年から知事本局)とは、当時の筆頭局で、国でいえば内閣官房のような位置付けである。

「石原さんも浜渦さんも東京都を利権としてしか見ていませんでした。知事本部長・本局長の3年間は彼らとの戦いの連続でした。次の副知事候補だった私も、浜渦さんから標的にされたわけです」

■ヤラセ質問

 前川氏が福祉局長時代に開校した都社会福祉総合学院が、問題視されたという。

「要は、都の出資で立ち上げた学校が、民間企業に委託されるのはおかしい、と。でも、学校の開設を決めたのは、私の前任者です。当初、都の直営になる予定だったが、採算の合わない事業をやるわけにはいきません。私はせめて運営は民間に委託しようと考えたのです」

 それを浜渦一派がスキャンダルにしようとしたのだ。

「浜渦さんは、これを議会でも問題にしようとした。民主党(当時)の都議に依頼して、この学校について質問させ自ら答弁。これがヤラセ質問ということで問題視され、逆に浜渦さんに対する百条委員会が開かれたのです」

 浜渦氏は偽証を認定され、05年7月に副知事を辞することとなったが、

「私も刺し違える格好で都庁を退職しました。そんな経緯ですから、再就職の希望を聞かれた際、石原さんや浜渦さんから逃れたくて、『都の出資を受けている第三セクターにだけは行きたくない』と答えました。その点、東京ガスは都と資本関係が全くない。それで再就職しました」

 豊洲問題について言えば、

「知事本部長という立場上、合意書を取り交わす際に立ち会いました。でもあくまで立会人であり、言わば証人のようなものです。汚染処理方法や売却価格の交渉をしたのは、環境局や市場の担当者で、知事本部長には何の権限もありません。05年に東京ガスに再就職することについて、何か問題があるなんて全く思いもしませんでした。今になって、豊洲問題の戦犯のように言われるのは心外です」

「特集 嘘とペテンで盛り土した『豊洲と五輪』7問答」より