連続する少年殺害事件、子どもを被害に遭わせない「古典的だが有効なルール」とは

社会2016年9月13日掲載

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■少年はなぜ深夜に徘徊するのか

 埼玉県東松山市の少年殺害事件の報道を見て、昨年の神奈川県川崎市で起きた中1男子殺害事件を想起した方も多いことだろう。どちらも1人の少年を、「仲間」だったはずの少年たちが集団で殺害をしている点も含めて、いくつか共通点がある。

 その一つが発生時刻。いずれも事件は午前零時をはるかに過ぎた深夜に発生している。

 関係した少年の多くは家庭に門限が無かった、もしくはあっても有名無実化していたであろうと推察できる。

 子供が成長するにつれて、門限の時間は少しずつ遅くなっていくのは普通のことだろうが、一方で「子供の自主性」を重んじてあえて門限を設定しない、という家庭や、そもそもシツケに無関心なので門限なんか無い、という家庭もあるだろう。昔と比べて24時間営業の店が増えたことで、子供たちが深夜に徘徊しやすくなったという面もある。

 もちろん、それぞれの家庭の教育方針は尊重されるべきなのだろうが、「子供のためを考えると、門限は非常に重要です」と犯罪社会学者の廣末登氏は指摘する。

 廣末氏は、元暴力団員たちからの丹念な聞き取りをしてまとめた新著『ヤクザになる理由』の中で、彼らがグレた理由を探っている。その中で「門限」は重要なファクターとなっているというのだ。

「多くの元ヤクザたちの家庭環境を聞くと、『門限なんか無かった』という人がほとんどでした。そんなもの、設定されたことがない、という放置家庭です。
 門限があったとしても、子供がそーっと家から抜け出すくらいのことはあるでしょう。でも、それはあくまでも時たまの“冒険”の範疇なので、そう問題はありません。
しかし、もとから門限が無いということは、親が子供に無関心であるということと同じです」(廣末氏)

■ヤクザと門限

『ヤクザになる理由』に紹介されている元ヤクザたちの門限やシツケに関する証言をいくつか見てみよう。

「(小学生の頃から)おれん方は自由主義やさかい放任やで。(両親は)どっちも(わしに)構わんかったで。門限もないない。(食事は)小学校の頃には、三軒隣の家に上がりこんで冷蔵庫かき回しよった」(元暴力団組員のJさん)

「(両親に)ほったらかされとったがな、金だけは貰いよった……そうやな、1日300円位か、今やったら1000円くらいの価値かな。(家庭は)健全やないな。第一、家に親居らんからメシがないんや。(門限も)ない」(元暴力団幹部Nさん)

 多くの元ヤクザたちが、門限も含めて、家庭では基本的なシツケなどが行なわれていなかった、と振り返っているのだ。

■門限は放置傾向の尺度

 廣末氏は、こう語る。

「門限の有無は家庭の放置傾向を見る尺度になるのです。基本的な社会生活のルールを教えるという点でも重要ですし、また単に子供をグレさせないためだけではなく、被害者(化)しないためにもとても大切なのです。

 被害者学という学問では、被害者を何種類かに分類しており、その中には『犯罪を誘発してしまう被害者』があるとされています。たとえば、極端に治安の悪い場所を若い女性が深夜、露出の多い格好で無防備に歩いて被害に遭った、といったケースです。

 もちろん、こうした事件の被害者を責めることは慎むべきですが、子供が犯罪の被害者となる要因、リスクを出来る限り排除するのは親のつとめです。

 悪い仲間に誘われて断りたいときに、門限は断る理由として使える可能性がありますから、子供が犯罪に巻き込まれないために、門限の設定は、古典的なようでとても有効なルールなのです。

 私自身、10代の頃はグレていたのですが、門限はありました。そのため、番長が『いまから殴り込みに行くから一緒に来い』と夜、家まで誘いに来たのに、父親が許さないという理由で外に出られませんでした。カッコ悪くて、当時は結構恥ずかしく思いましたが、良かったと思っています」

 そもそも放任にして、子供を自由にしたからといって感謝されるわけでもない。そうした少年時代を過ごした人たちの中には、実は「もっと親に構って欲しかった」と振り返る人が多いというのである。

 一般の家庭にとって、「子供に門限がある」というのは今でも当たり前だろう。そうした親たちからすれば「門限が必要だなんて何を今さら」と感じられるかもしれない。

 しかし、この古典的で有効なルールを忘れている家庭が残念ながら一定数存在しており、それゆえに生まれる悲劇もあるということは社会全体で共有すべき前提ではないだろうか。

デイリー新潮編集部