〈「お言葉」を私はこう聞いた〉かくてすめらぎは人間(ひと)となりたまひし――矢作俊彦(作家)

社会週刊新潮 2016年8月25日秋風月増大号掲載

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 今上陛下の「お言葉」を聞きながら、私は脈絡もなく3年前の4月28日に行われたある式典の映像を思い出していた。1952年のこの日、サンフランシスコ講和条約が発効し、主権が回復したのを祝して安倍政権が天皇陛下臨席で催した式典だった。ことは陛下退場のおりに起こった。席を立たれた瞬間、起立した参加者から「天皇陛下万歳」が発せられた。ここぞとばかり、壇上に並ぶ安倍晋三以下政府関係者が唱和した。すでに顔を上手に向けて歩を動かしている陛下に背から万歳を浴びせかけたのである。

 何とも居心地の悪い出来事だった。凍ったように足を止められた今上天皇の複雑な表情を私はどうにも忘れられない。そこにほんの一秒、押し殺したものは何だったか。

 ニュースではこの不手際について何も触れなかった。そこがまた不思議でならなかったが、政府広報の動画ではその数秒が編集で割愛されているところからすると、この万歳は確信犯的な意図があったと推測される。

 私はそこに、この政府の卑しささもしさを感じた。もとより、米軍占領下から「この国が再独立を果たしたこと」を祝うなど、皇統に対する不敬である。皮肉にもアメリカメディアは極右などと評するが、この政権は右翼どころか保守ですらない。アメリカの走狗であっても、彼らが「取り戻す」と言う日本は、日本の伝統文化や精神からほど遠いものである。私は強く直感した。

 そのときから今日のこの日が始まっていたに違いない。その思いで陛下の「お言葉」を聞き終えた。

 天皇が政治の卑しさに左右されるのは、今に始まったことではない。飛鳥の昔からそうだった。

 千数百年、天皇が兵馬の大権など持ったことはない。持とうとした天皇はことごとく滅ぼされた。戦前、現人神とされた昭和帝でさえ、事実上統帥権など遠く、軍部に抗する術を持ち得なかった。

 昭和帝が政治にはっきり判断を下したのは張作霖爆殺と二二六事件、それにポツダム宣言受諾の三度きりだった。

 三島由紀夫は『英霊の聲』に、このときこそ大帝昭和は人でなく神であられるべきだったと書いたが、その身悶えするような願いは、逆に戦前昭和から天皇が人であったことを証し立ててしまった。(むろん、その人としての政治判断が結果、この国を破滅から救ったことに、三島が気づいていなかったはずもない)

 いわゆる「人間宣言」と言われる詔書において、昭和帝が改めて自らが神ならぬ身だと宣しているわけではない。天皇が神でないのと同じように日本人が格別な存在、亜細亜の指導的民族などではないと諭し、そこへ明治の国是、五箇条の御誓文を添え、新日本建設を謳ったもので、要は後段、五箇条の御誓文にあった。(と、昭和帝自ら後になって語られている)

――広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
――旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ

 何と見事に、マッカーサー司令部が目指す「戦後民主主義」とリエゾンしていることか。しかし、これは「押しつけられた」言葉ではなく、「天皇の」言葉なのである。

 思えば1960年、日米安保改定に国論二分し流血騒ぎ止まらぬ最中、アメリカ大統領訪日を強行しようとする政府を直前中止に追い込んだのも、これ以上の分断と災難を望まぬとする昭和帝の「言葉」だった。その責を負い辞職した首相が安倍晋三の祖父だったのは、決して偶然とは言えないだろう。(遺恨などとは決して言わないが)

 少なくとも迪宮裕仁お一方にとっては、戦後の「象徴天皇」とは他でもない、神武以来のあるべき天皇のお姿、つまり大政奉還の前に戻られたに過ぎなかったのではないか。自身ではないが戦争直後、貞明皇太后がそれを明かしたという記録がある。「皇室は御維新以前に戻るだけのことでございましょう」と。

 今回の陛下の「お言葉」では、言葉の、その率直さに驚いた。何より、象徴であろうとする強い意志に驚いた。陛下のご宸襟(しんきん)を悩ませているのは、一に生前譲位の問題ではないのではないか。

 昭和帝の抱いた「象徴天皇」をさらに一歩進めよう。欧米の価値観の中に、いうなら言説化されようというのではないか。昭和帝が明治天皇制の日本にあって唯一「立憲君主」を正しく理解していた日本人であったことに似て、今上陛下は誰より「象徴天皇」を覚めて考え抜いておられるのだろう。

 今「言葉」は投げられ、こちら側にある。「象徴天皇」について真摯に考えるべきは国民である。答えを出すのは、むろん主権あるわれわれだが、歴史を何より前へ進めようとしているのがこの国の国民ではなく、天皇であることに不可解なものを感じてならない。

「特集 天皇陛下『お言葉』を私はかく聞いた!」より