【鶴保大臣の冷血言行録・上】 妊娠中に「早く歩けよ!」の罵声 捨てられた元妻の両親語る

政治週刊新潮 2016年9月1日号掲載

「成田」に「熟年」。いまどき、離婚など何も珍しくはないが、このケースは「よくあること」で済まされそうもない。新閣僚の鶴保庸介参院議員(49)に、息子を出産した直後の新妻と別れたスピード離婚の過去が発覚。捨てられた元妻とその両親が「思い」を吐露した。

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2010年参院選での鶴保氏

「『彼』は立派な職業についておられる方ですが、思っていた人柄とは全く違っていたので、がっかりすることの連続でした」

「彼女」の父親は、重い口を開くと、こう言葉を絞りだした。この父親の娘は、一体「彼」にどんな仕打ちを受けたのだろうか――。

 政治家の資質と言い、大臣の資質と言う。国会議員の不祥事が明るみに出るたびに議論される「資質問題」。政治家に必須なのはリーダーシップだ、いや政策立案能力こそが大事だと、幾度となく喧(かまびす)しい政治談義が繰り返されてきた。

 が、その答えは簡単である。当然のことながら、政治家であり、大臣である以前に、彼らも我らと同じ人間なのだ。したがって、政治家・大臣に求められる第一の資質は、「人としての常識」に他なるまい。

 8月3日に発足した第3次安倍改造内閣で、男性最年少大臣として沖縄・北方担当相に抜擢された当選4回の鶴保氏。

「彼は派閥の長である二階さん(俊博・自民党幹事長)と同じ和歌山県を地盤とする、二階派のホープといって差し支えないでしょう。二階さんを『おやじ』と呼んで、参院議運委員長、国交副大臣、党参院政審会長と一歩ずつ階段を上り、50代を前に念願の初入閣を果たしましたからね」(自民党職員)

 そんな鶴保氏は2002年、自民党の先輩議員だった野田聖子・同党元総務会長と結婚祝賀パーティを開き、06年まで事実婚の関係にあったことでも知られる。

 野田氏との事実婚解消という「辛酸」を嘗(な)めつつも、大臣にまで順調に上り詰めた鶴保氏だったが、就任早々、スキャンダルに見舞われる。「週刊ポスト」(9月2日号)の報道によって、野田氏以外の女性とも結婚、そして離婚していたことが明らかになったのだ。

 その概要を記しておくと、現在、和歌山県内で両親と暮らす31歳の山田貴子さん(仮名)と鶴保氏は、一昨年入籍し、男児をもうけたものの、直後に離縁していた経緯が、彼女の「親族」によって語られたというものだった。だが今回、

「こちら(和歌山)では、娘が手切れ金として2000万円もらったらしい、授かった子どもは本当は鶴保さんの子ではないのではないかなどと、根も葉もない噂が立っています。本当はもう忘れてしまいたい。でも、このまま黙っていては娘の名誉に関わるので……」

 とした上で、彼女の父親が本誌(「週刊新潮」)に、言葉を選びつつ慎重に話しだしたのだった。それが、冒頭に紹介した鶴保氏に対する山田さんの父親の「思い」である。

 山田さんの父親が、北川景子似の美女である娘から直接聞いた話として、「鶴保問題」の真相を説明する。

■豹変してモラハラ

「知人を通じて知り合った娘と鶴保さんがお付き合いを始めたのは、11年の10月頃のことです。最初、知人を含め3人で都内のホテルで会食し、すぐに鶴保さんから2人での食事に誘われ、交際が始まった。彼の趣味であるサイクリングに誘われ、一緒に1日で30キロ走ったり、日光へ旅行したりしてデートを重ねました。また、芸能事務所関連の仕事をしていた娘は、東京に出てから肌荒れに悩んでいたんですが、鶴保さんは地方に行った時に温泉の成分が入った肌荒れに効くスプレーを買ってきてくれるなど、交際はとても順調だったんです」

 12年夏には、鶴保氏が和歌山の山田家を訪問。

「その時は、なんて物腰の柔らかい人なんだろうと感じたんですが……」

 しかし、「いい人」だった鶴保氏は、ある頃を境に豹変する。

「13年夏、娘が妊娠していることが分かりました。鶴保さんは、『子どもができれば家族同然なんだから、これからは堂々と議員宿舎で生活すればいい』と言ってくれ、娘との半同棲の生活が始まった。2人は一緒に彼の実家にも挨拶に行っています。ところが、鶴保さんのご両親、とりわけお母さんが2人の結婚に乗り気ではなかった。両親の影響もあって、彼の態度は変わったのだと思います」

 この鶴保家への挨拶の際、なぜか彼の知人である地元の名士2人が同行。鶴保氏は、山田さんに対して彼ら2人を「君の親族ということにして」と言ったという。

「おそらく、両親に対して『山田家』の印象を良くし、箔づけしようとしたのでしょう。しかし、これは逆に、我が家にとって極めて失礼な振る舞いだったと思います。うちは、そんな恥ずかしい家ではありません」

 なお、後に鶴保氏は山田さんに対して、

「昔、女医や女優を両親に会わせたんだけど、やっぱり反対された」

 とも、漏らしたという。いずれにせよ、鶴保氏の山田さんに対する接し方が変化するのは、この両親との面会以降のことである。

 山田さんの母親が後を引き取る。

「身重の娘が横になっていると、鶴保さんは『寝転がる時は、俺に断ってからにしろ!』と冷たく当たった。また、お腹が大きくなり、どうしたってゆっくりとしか歩けない娘に、『なに、トロトロ歩いてるんだ。早く歩けよ!』と言うこともありました」

 さらに、

「ある時、彼の上着を預かった娘は、間違って裏返しにしてハンガーに掛けてしまったんですが、妊娠後、彼はこのことを、『お前は上着の掛け方も知らない女だからな』と、何度も蒸し返した。いわゆるモラハラです」(同)

 それでも、間もなく生まれてくる子どものことを考え、早く入籍したいと訴えていた山田さんだが、

「鶴保さんは『まだ、皆に説明できていないから』『そんなつもりはない』と言い、一向に入籍話が進まないので、13年10月、娘は知人を含め、鶴保さんと3人で会って婚姻届を書いてもらった。ところが、入籍する条件として、彼は同時に離婚届を書くことを要求。娘は、『よく分からないけれど、政治家だから万が一の事態に備えておきたいのかな』と、渋々、離婚届にも捺印しました。そんなことを繰り返している間に、娘は泣きながら実家に連絡してくるようになり、その年の11月、娘を実家に『避難』させることにしたんです」(父親)

 出産は刻一刻と迫っていたが、鶴保氏はなお婚姻届の提出を躊躇(ちゅうちょ)し続けた。

「『(13年の)クリスマス・イブに婚姻届を出そう』と言ったかと思えば、翌日に『気が変わった』と前言撤回。彼の口癖は『気が変わった』でした」(同)

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(下)へつづく

「特集 政治家の資質より『人として』を問われる初めての閣僚 新妻と乳児を離縁した『鶴保庸介』大臣閣下の冷血言行録」より