カープのファンはなぜ「あんなに熱い」のか 黒田復帰を後押しした広島県民――いま、広島が熱い!(2)

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 前回の記事でマツダが最高益を更新している話をお伝えしたが、実は広島で好調なのはマツダだけではない。広島の象徴ともいえる広島東洋カープ球団も、ここ2年ほど売り上げ、利益ともに史上最高を更新し続けている。

 しかも、昨年の観客動員数は史上初めて200万人を突破した(211万人)。それまでに、年間観客動員数200万人を突破したのは、巨人、阪神、ソフトバンク、中日の4球団のみ。いずれも親会社の援助をあてにできる大都市の球団で、4万人サイズの球場が本拠地だ。「野球の聖地」甲子園は別だが、いずれも本拠地はドーム球場でもある。

 一方、広島カープの本拠地のマツダスタジアムの収容人数は、わずかに3万3000人。天然芝の美しいスタジアムだが、ドームではない。そのスタジアムに毎試合、平均すると3万人近い観客が訪れている。

 カープの本拠地である広島市の人口はわずかに119万人で、県全体でも282万人に過ぎない。その小さな商圏から200万人以上の観客を集める集客力は驚異的だ。本拠地のファンの「濃さ」で言えば、恐らく日本一だろう。

数字に表れた「黒田効果」

 カープの昨年度の売り上げは148億3256万円、最終利益は7億6133万円だった。ちなみに黒田博樹と新井貴浩が同時にチームから去った2007年12月期の決算は、売り上げ62億900万円、最終利益が1700万円だった。売り上げで2・4倍、最終利益は45倍になっている。

 この急成長の理由の1つは、間違いなく黒田効果だ。黒田が復帰した2015年には、観客動員数が21万人、売り上げが20億円も増えている。ソフトバンクのようにオーナーの一存で大盤振る舞いができる球団とは違い、こまかなやりくりをしなければ球団が消滅しかねないカープにしては、黒田に年俸4億円を出して復帰させたのは大英断だったが、それは充分すぎるほどにペイしたと言える。

 黒田の側から見ても、カープ復帰には、サンディエゴ・パドレスの提示額1800万ドル(22億円、当時)を上回る魅力があった、ということだろう。いわば、ファンの想いの熱さが、黒田をカープに戻したのである。

 ただ、そもそも「黒田が戻れた」理由には、カープが2009年から現在の「マツダスタジアム」に本拠地を移し、観客動員数を大きく増やしていたことがある。

 そして、この「広島市民とカープ本拠地球場の歴史」を知ると、カープに対する広島市民の熱い想いに理由があることが分かってくるのだ(以下、新潮新書『広島はすごい』を基に紹介)。

■広島にもかつてあったドーム球場構想

 実はかつて、広島にもドーム球場構想があった。1988年の東京ドームを皮切りに、2000年代にかけて福岡、名古屋、大阪、札幌でドーム球場が誕生したが、広島でもドーム球場の構想がくすぶっていたのである。96年には広島市の依頼を受けて、JR広島駅東部の旧東広島駅貨物ヤード跡地(現在マツダスタジアムの建つ場所)の再開発計画を検討した学識経験者などによる委員会が、ドーム球場を中核にした都市開発案を当時の市長に提言している。

 しかし、この構想には現実味が乏しかった。最大の問題は資金である。建設費だけで420億円、土地を買い上げるとなるとさらに150億円から200億円もかかる。投資を回収するとなると、当然、球場使用料も跳ね上がる。当時、カープが広島市民球場に支払っていた年間の球場使用料は6550万円とされていたが、これは4万人規模のドーム球場が出来た場合の「5試合分の使用料」にしかならないとされた。堅実経営を掲げるカープ球団としては、乗れない話だった。

 では、あっさりと「ドームではない球場を作ろう」となったかと言えば、そう話は簡単ではない。というのは、広島財界が広島市民球場からのカープ移転に反対したからだ。

 広島市民球場は、広島市の中心部にある。老朽化し、集客力が衰えたとはいえ、毎試合1万人以上の観客が街の中心部に集まる集客力はバカにできない。賑わいの拠点を分散させてしまう移転案に、地元財界が難色を示したのだ。

 地元財界が移転に反対したのには根拠がある。実は、広島市民球場は「地元財界が作った球場」だからだ。1957年に完成した広島市民球場の総建設費は2億6500万円。その9割以上にあたる2億5000万円を地元財界が負担していたからである。広島市民球場の完成(2期工事終了)で、それまでの観客席とグラウンドがロープで仕切られていた本拠地・広島総合球場時代の平均観客数4000人が、1万8000人と4・5倍に急拡大した歴史があった。半世紀にわたって広島市中心部の賑わいを演出してきた市民球場からのカープ移転は、やすやすと呑むわけにはいかなかった。

■「樽募金」が状況を打開した

 ドームもダメだし移転もダメ。膠着した状況を打開したのは、市民による「樽募金」だった。新球場建設プランを進めるため、広島県内の報道機関が結束して推進委員会を結成し、2004年11月20日から1年間の予定で県の内外1200箇所に募金箱や四斗樽を設置。これが反響を呼び、1年後には目標の1億円を超える1億2500万円が集まったのだ。

 このファンの熱気が行政と財界を動かし、両者を再開発地でのスタジアム建設で一致させた。球場建設費はドーム案の4分の1以下の90億円。広島市と県、地元財界が46億円を負担し、残りは球場使用料を担保にした借り入れ金や市民の寄付金でまかなわれることに決まった。財界は11億円あまりを目標に主要企業から寄付を募ったが、それを大きく上回る16億6500万円が集まった。「樽募金」もあわせると、スタジアム建設費の2割にあたる18億円が寄付によって集まったのだ。

 ちなみにこの時期は、リーマンショックによる金融収縮と不況が重なった時期である。その時期にこれだけのお金を集めてしまうカープへの地元の「熱さ」は他に類を見ない。

 現在のカープの好調な収益は、こうした地元・広島による下支えがあってのことだ。同じ地方球団ながら、札幌ドームの高額な年間使用料に苦しめられている日本ハムから見れば、羨ましい限りだろう。

 カープはしばしば「市民球団」と言われるが、厳密に言うと、カープの株の過半はオーナーの松田家が所有していて、広島市民が出資しているわけではない。ただ、広島市民球場、マツダスタジアムと二代にわたる本拠地球場への地元の支援を見れば、まさに「市民球団」の名が相応しいだろう。

 財政が改善したカープは、黒田投手に日本プロ野球界最高の年俸(6億円、2016年)を払っている。また、シーズン中にもかかわらず、昨期の最優秀防御率投手で先発陣の柱であるジョンソン投手と、3年契約で総額15億とも言われる大型契約を結んだ。

 セパ交流戦を終えて、現在もセリーグ首位を走っているカープ。91年以来、25年ぶりの優勝も、ありえない目標ではなくなってきた。

デイリー新潮編集部

2016年6月21日掲載

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