安倍総理が匂わせた「リーマン・ショック前夜」 都合のいいデータ切り取りを解説

政治週刊新潮 2016年6月9日号掲載

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「世界経済はリーマン・ショック前の状況に似ている」との認識を示し、消費税増税を先延ばした安倍総理。「G7伊勢志摩サミット」で各国首脳に披露した奇妙な経済指数の「正体」とは、いかなるものなのか。

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消費税引き上げ延期のためにサミットを利用したのか――

 ノーベル賞経済学者を招いて消費税の引き上げに反対を唱えさせるなど、思えば幕が上がる前から結末が見えている「政治ショー」だった。その、安倍総理が最後の決め手にしたのが、サミットで配られた4枚のペーパーである。

 8年ぶりに日本で開かれたG7による「伊勢志摩サミット」は、ホスト役の安倍総理にとっても乾坤一擲の大舞台である。5月26日の初日、安倍総理は満を持したかのように、A4判の紙に書かれた数種類の指標を各国首脳に示した。

 1ページ目には、過去10年間の「コモディティ(商品)価格の推移」、2ページ目は「新興国の経済指標」、3ページ目は「新興国への資金流入」、そして4ページ目には「主要国の成長率予測」とある。出典はIMFなどの国際機関とあるから、説得力もありそうだ。

 ペーパーには分かりやすいようにチャート図が描かれているが、目を引くのは2008年のリーマン・ショック時と現在の数値がともに落ち込み、大きな2つの“谷”をなしているように描かれていることだ。

 それによると、最近の商品価格は55%も下落し、落ち込み幅はリーマン・ショック時と同じ。また、新興国の投資伸び率はより低水準で、「資金流入」はリーマン・ショック以降もっとも低い水準にある。主要国の成長率も下方修正が続いており、これまたリーマン・ショック時より悪いと書かれているではないか。

 政治部の記者が言う。

「このペーパーには、いずれのページにも『リーマン・ショック』という言葉が盛り込まれています。安倍総理は、これをもって今が深刻な経済状況だと力説、各国に財政出動を促したのです」

■根回しは失敗

 だが、出席メンバーからは異論が噴出する。イギリスのキャメロン首相は、安倍総理の「悲観論」に同意せず、サミットに10回以上出席しているドイツ・メルケル首相も反対意見を述べている。

「危機とまで言うのはいかがなものでしょうか?」

 昼食会になってもメルケル氏はワインを傾けながら持論を開陳し、後で「世界経済は安定成長の兆しを見せている」と危機をキッパリ否定してみせた。国内の新聞を見てもピンと来ないかも知れないが、イギリスのタイムズ紙がはっきり書いている。

〈世界の指導者は安倍の経済に対する懸念に同意しない〉

 だが、これも事前に分かっていたことだ。

「安倍総理は5月1日から1週間、ヨーロッパなど6カ国を歴訪しましたが、これはサミットで財政出動に否定的なイギリス、ドイツを説得するための根回しでした。しかし、両国とも首を縦に振らず、サミットでも合意を取り付けられないことははっきりしていたのです」(経済ジャーナリストの福山清人氏)

 ところが、安倍総理は強引である。サミット終了後に開かれた議長会見で、

「リーマン・ショック時の下落幅に匹敵」

「リーマン・ショック後、初めての出来事」

「リーマン・ショック以来の落ち込み」

 と、「リーマン・ショック」という言葉をまたも連発し、首脳宣言に、こんな文言まで盛り込んでしまった。

〈われわれは、必要に応じて短期的および長期的な成長を支えるため強固な政策的対応を講じる用意がある〉

 反対されているのを承知で「リーマン・ショック前夜」を匂わせたのは、消費税の増税延期を発表するためだったことはご存じのとおり。だが、伝家の宝刀として取り出したペーパーも、これまたお粗末なものだった。

■原因は原油の暴落

 シグマ・キャピタルの田代秀敏チーフエコノミストが分析する。まず、1枚目の「コモディティ(商品)価格の推移」について、

「この価格指数は様々な商品の価格を単純平均したものだと思われていますが、原油だけで全体の53・6%を占めています」

 これでは、価格指数の下落が世界経済の危機的な状況を反映しているとは言えない。

 ご存じのように、石油業界はアメリカで起きたシェール革命をきっかけに、サウジアラビアが価格競争を仕掛け、2014年から歴史的な暴落が起きている。

「つまり、現在、コモディティ価格が55%も下落している最大の原因は原油の過剰供給による原油価格の暴落なのです。これに対してリーマン・ショックは米国の住宅バブル崩壊による金融危機でした。現在とはまったく状況が異なる。ペーパーに書いてあることは嘘ではないけれど、統計の不適切な利用法です」(同)

 また、前出の福山氏によると、

「コモディティ価格下落の原因には中国経済の失速もあります。“資源バブル”が崩壊したため結果として下がるのは当然のことなのです。しかし、これは中国の経済構造の変化であって世界的な経済危機を意味しているわけではありません」

 前出の田代氏によると、コモディティ市場の本当の実態を知るためには燃料を除いた「非燃料価格」も見なければならない。

 すると、安倍総理が持ち出したデータよりも一気に約40ポイントも高くなる。石油以外の商品価格はそれほど落ちていないのだ。

「典型的なのがオリーブオイルです。その価格は欧州や中東での、家計消費の動向を示す重要な指標になる。相場はずっと高止まりしており、需要が底固く続いていることが分かります」(同)

■失笑が起きた

 ペーパーの2枚目「新興国の経済指標」はどうだろう。これによると、投資伸び率はリーマン・ショックの翌年が3・8%だったのに、2015年は2・5%に落ち込んでいる。これだけだと、リーマン・ショック時より悪いのだが、

「実はこれも恣意的です。出典元になっている『IMF WEO』には、途上国の他に先進国や世界経済全体のデータが載っています。それによると、先進国ではリーマン・ショックの翌年がマイナス15・4%だったものが、2015年は2・7%に戻している。2014年からは穏やかに持ち直しており明らかに回復基調です。世界経済全体の指標も同様で、安倍総理は都合の好いチャートだけを抜き出して使っていると言われても仕方ありません」(同)

 そもそもリーマン・ショック前に迫っているというのなら、アメリカが利上げの準備などするはずがない。金融の世界では、自分の都合のいいようにデータを切り取って使うことを「カーブフィッティング」というが、まさにそれ。

「だから」、と先の政治部記者が言うのだ。

「サミットで安倍総理が出してきたデータを見て、各国の記者が集まる国際メディアセンターでは失笑が起きていました。EUの記者などは“安倍総理はサミットを私物化しているんじゃないのか”と呆れていたし、データの出所元になったIMFも“意図することと違う説明に使われてしまっている”と文句を言っていました」

「特集 財務省は蚊帳の外! 『安倍総理』の口先『リーマン・ショック前夜』の奇妙な指数」より