ナベツネのライバル 元朝日新聞主筆・若宮啓文 北京に死す

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 功罪相半ばするといったところか。あるいは……。少なくとも、言論界の一方の頭としての「存在感」がピカイチだったことは疑いない。北京で客死した元朝日新聞主筆の若宮啓文(よしぶみ)氏(享年68)。その妻が亡夫との別れを明かした。

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 若宮氏は朝日退社後、公益財団法人「日本国際交流センター」のシニアフェローに就任。急死したのは、4月27日夜のことだった。翌日のシンポジウムに参加予定だった同氏は、その日仕事先のソウルから北京へ。高級ホテル「長富宮飯店」10階の部屋に落ち着いたが、一夜明けた28日の昼になっても姿を見せない。センターの同行者が部屋に入り、浴室で倒れているのを発見したという。

 北京へ遺体の確認へ出向いた妻が、都内の自宅で重い口を開く。

「主人は苦しんだ様子もなく、眠っているような顔でした。センターの人に聞くと、亡くなった日は“だるい”“手が震える”など、体調の悪さを訴えていた。それでホテルに帰り、すぐお風呂に入ったのでしょう。そのままの姿で亡くなっていたそうです」

 若宮氏は、1970年に朝日入社。支局勤務の後、政治部に配属され、2002年に論説主幹、11年には主筆に就任。朝日の歴史でも主筆の座に就いたのは、緒方竹虎ら大物のみである。

 一方で、コラムに「竹島は韓国に譲ってしまったら」と書いたり、ライバルの読売・渡邉恒雄主筆と首相の靖国参拝反対の論陣を張ったりと、あまりに中韓の言い分に沿った主張を展開し、「国賊」「売国奴」と批判を浴びたこともあった。

■ただ笑うだけ

 突然の死の原因は何か。未亡人が続ける。

「中国では日本ほどしっかり調べてもらえないようで、死因は今もよくわかりません。ただ、主人は心臓に異常なし。血圧も上が100ちょっと。座りっぱなしでパソコンに向かっていても、30分ほど散歩するなど、身体に気を遣っていました」

 もっとも、死の前は疲れが溜まっていたという。

「月の半分は海外ということもありましたし、日本でも、あちこちの大学でゼミを持っていた。それにこの出張に行く前、主人は“本を仕上げなきゃ”と、センターにも行かず、自宅で仕事を続けていました」

 温泉療法の専門医、東京都市大学人間科学部の早坂信哉教授によれば、入浴関連の突然死は、日本で年に1万6000〜7000人に及ぶという。その多くが血栓が出来やすくなることによる脳梗塞や心筋梗塞。疲労やストレスがリスクを高めることは言うまでもないから、若宮氏もこれに陥った可能性が高い。

 訥々(とつとつ)と語る未亡人が、最後に若宮氏と話したのは、死の前夜、夜中の12時半にソウルからかかってきた国際電話だった。

「“明日から北京に行くから”と言って、連絡方法や電話のかけ方を教えてもらいました。声はいつもと同じでしたが、普段私にそんな電話をすることはない上に、夜中でしたから、変な感じがした。“何でこんな時間に電話してくるの?”と訊くと、夫はアハハとただ笑うだけでしたが――」

 身体の底から何か感じるものがあったということなのか。死から日が経ち、夫人は今は心の整理に腐心する日々だという。 

「例えば、主人はお風呂が好きで、家の近くの天然温泉によく行っていた。私もしっかりしなくちゃと思って、今は“好きなお風呂で逝けてよかったんだ”と思うようにしているんです」

 その訃報は、中韓でも大きく取り上げられた。時に「阿(おもね)り」等々と批判されても彼らに理解を捧げた、若宮氏らしい“悼まれ方”だったのかもしれない。

「ワイド特集 風薫る日に綱渡り」より

週刊新潮 2016年5月19日菖蒲月増大号掲載

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