伊勢原で遺体発見「週刊新潮」に死刑囚が告白した殺人事件の全容

社会 週刊新潮

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動機は10億円利権

 遺体捜索はどう行われていたのか。捜査関係者の解説を聞こう。

「津川さんの失踪直後、奥さんが、神奈川県警に捜索願を出していました。現場が伊勢原ということもあり、警視庁と神奈川県警の共同捜査となりました。またユンボなどの重機が入れられない斜面なので、スコップなどでの手作業だったようです。また結城元組員も、現地に伴いました」

 それにしても、なぜ津川さんは、暴力団絡みのトラブルに巻き込まれたのか。

「彼は1982年、伊勢原駅前の350平方メートルの土地を競売により2309万円で落札した。物件を更地にして転売しようと考え、ビルのオーナーやテナントに明け渡しや退去を求め、裁判を起こしました」(知人)

 紆余曲折を経て、勝訴が確定したのは今から丁度20年前の7月のことだった。

「すでに90年には、駅前一帯は伊勢原市による再開発計画が決定していた。本人は“うまくいけば、市が10億円で買いとってくれる”と興奮していました」(同)

 しかし好事魔多し。この間、津川さんは会社の資金繰りに窮していた。

「そのため、ある金融業者を通じ、暴力団幹部から1700万円の融資を受けてしまっていた」(同)

 この暴力団幹部こそ、先に述べた住吉会系組織の若頭だったのである。彼は、この土地を奪って、大儲けしようと目論んだのだ。

 当時の状況を、津川さんの妻はこう振り返った。

「忘れもしない20年前の8月10日、伊勢原の自宅で寛いでいた主人は、宅急便を名乗る電話の男に呼び出され、サンダル履きで外に出かけて行きました。それっきり帰ってこず、私たちの時間は止まったままです」

 津川さんは自宅近くで犯人の車に乗せられ、絞殺されたという。若頭が、津川さんから担保に取っていた土地の権利証などを使って、所有権を自分に移したのはこの2日後のことだった。

 遺体発見前、津川さんの妻は本紙にこう打ち明けていた。

「私は仏壇も遺影も作らず、夫を待ち続けました。しかし殺害され、埋められたのが事実なら、一日も早く、骨だけでもいいから、私の元に帰ってきてほしい」(同)

 凍りついた失踪の謎は氷解した。止まった時が今、再び動き出そうとしている。

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