「小柳ルミ子」の雇った興信所を「大澄賢也」がまき続けた

芸能 週刊新潮 2016年3月10日号掲載

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 巣立ちに失敗したツバメは大概死んでしまうんだそうだが、この若いツバメも死にたくなかったのだろう。巣に繋ぎとめようと必死の小柳ルミ子(63)と、逃れたい大澄賢也(50)。そこにはおぞましいばかりの、執念と執念の対決があった。

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使用人じゃねぇ

 恋多き女にもいろいろタイプがあるけれど、小柳ルミ子は若いころから、ほれた相手への思い入れが尋常ならざる強さだったそうだ。音楽ディレクターやTVプロデューサー等々、オトコはわりと身近から調達しているようでも、

「徹底的にほれ込んで、拘束するから嫌われ、嫌われると追いかけまわして、さらに嫌われるんです」

 と古参の芸能記者。そんな女が若いツバメを侍らせれば、いっそう執念深くなるに決まっている。1989年に結婚した13歳年下の大澄賢也の浮気には、「別れる時は死ぬ時」と迷言を放ち、ツバメの心を寒からしめたのはまだ序の口。執念の死闘の本番は、97年1月6日に始まった。

「大澄はわざと、8回目の結婚記念日だったこの日に、“浮気をした”とルミ子に伝え、その後は頻繁に家を空けるようになった。5月に完全別居し、98年4月には離婚届に判を押して小柳に預けたんです」(同)

 ま、ルミ子は「賢也クンがここまで来れたのも私のおかげネ」が常套句だったから、ツバメの“忘恩”を非難する人もいたが、当時の写真誌の記者は、やや大澄に同情的にこう語る。

「彼の実状は、ただの使用人でした。ルミ子は芸能事務所の社長らを家に呼んで麻雀の日々で、パカパカと煙草を吸って、灰皿を大澄に交換させていた。ベッドの中でパンツをはくこともできない、なんて話も漏れ伝わって、その真偽はともかく、使用人かつホストという立ち位置。普通の男なら逃げ出しますよ」

 だが、逃げられても、自分が嫌われたとは夢にも思わないルミ子は、女性との対決を画策し、

「大澄が誰とどこに住んでいるのかを突き止めるため、興信所まで使った」(同)

■急にホッとした顔に

 そんなことをされたらもっと逃げたくなる、というツバメ心、いや、男心がルミ子にはわからないと見え、以来、大澄はまいて、まいての日々を余儀なくされた。

「99年夏、大澄が新宿のコマ劇場に出演することがわかった。そこから尾行すれば、大澄の写真が撮れると考えたんです」

 そう語るのは、興信所と競って大澄を尾行した、先の写真誌の記者である。

「夜10時ごろ、大澄はマネージャーらしき人と一緒に出てきて焼肉屋に向かい、食後、タクシーに乗った。ところがタクシーはワンメーターも走らずに停まって、大澄一人が降りてしまった。そこで翌日、大澄が降りた近くを捜索すると、彼の車がありました。尾行を警戒して、ここまでタクシーで来て乗り換えて帰宅している、とわかったんです」

 そこで、次はその駐車場から追いかけたのだが、

「彼は駐車場から大通りに出るまでの一方通行を無茶苦茶飛ばす。80キロは出ていたでしょうか。とても追いかけられません。ならばと、3日目に一通を抜けた場所で待って尾行すると、大澄の車は甲州街道で突然停車し、じっと前を見すえていて、信号が黄色になった瞬間、タイヤを鳴らして猛ダッシュでカッ飛んでいった。興信所を警戒して毎日こんなことをしていたのです。自分のマンションの前でも、車を停めるとタイヤの前後に紙くずをパラパラ置き、10分しないで出てくると拾っていた。車の下に発信器が付けられていないかの確認だったんです」

 続いてカメラマンの話。

「追跡に気づいた大澄が車を停めたので、仕方なく前に出ると、今度は彼が追いかけてきてベタづけされまして。しかもピッタリつけながら黙っている。こちらが白旗を上げて雑誌名を告げると、険しい表情が急にホッとした顔に変わったんです。興信所じゃないと知って安堵したんですね」

 2000年に晴れて離婚を勝ち取った後、「人間不信で夜も寝られず、神経はボロボロだった」と、当時を振り返ったという大澄。

 1億円の慰謝料を求めたルミ子の執念も、別れるためならどんな法外な要求も呑む、という大澄の決意の前には無力。ルミ子は結婚記念日の1月6日に離婚届を出す、という執念で対抗したが、虚しかった。

「特別ワイド 迷宮60年の最終判決」より