刑務所では工場長「押尾学」の「今もテレビに出ている奴がいる」

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〈To all you 何のために生きている 人生すべての答えは自分にある 振り返る事はできるけど 踏みとどまる事はできない〉。今、押尾学(37)は自分が作った「Are you alive?」の詞を改めて噛み締めているのだろうか。六本木ヒルズの一室で、一緒にクスリをやっていたホステスが全裸で死亡するという事件から7年。一昨年12月、刑務所を出た押尾が、今の生活、これからのことを語る。

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今も矢田亜希子からは連絡がない

 黒のスウェットパーカーに同じく黒のブーツ。シンプルな姿で現れた押尾は、一礼をするとゆっくりと話を始めた。

 今の僕は必死にもがいている最中です。周りには、そういう風に見せていないですけど、毎日しんどい。お金のやりくりも、恥ずかしい話なんですが腕時計などを売って何とかしのいでいます。貯金を取り崩してもいますが、そろそろなくなってしまう。だから、どうしようかなって……。芸能界との付き合いは、もうありません。音楽の方もない。「LIV」(註・押尾のバンド)のメンバーはいますが、周りから、「なんで押尾と関わってんだよ」とか言われている。

 捕まってからは親戚も離れていきました。それまでは、「まーくん、サイン頂戴。写真を一緒に撮って」という感じだったのが、皆いなくなった。だから、両親には本当に迷惑をかけたと思います。今、僕は実家に住んでいて両親と一緒です。だから、最低限の生活には困らない。でも、みっともないじゃないですか。本当は早く家を出たいんです。

 収監されたのは静岡刑務所だった。刑期は3年6カ月だが、模範囚だったことから刑期短縮で仮釈放されている。

「刑務所でイジメられていた」と報じられましたが、それはなかった。仕事は炊事場工場で、工場長を任されていました。収監から8カ月くらいで工場長になったんです。上下関係が厳しかったけど看守の小林先生という方が、とてもいい人だった。

 朝は4時か4時半に起床。そこから朝昼晩と作っていくんです。炊事場に入る食材のチェックから料理と一日中忙しかった。業者が決めたレシピを見ながら作るんですが守らないと懲罰を受ける。砂糖箱一つとっても鍵がかかっているような厳格さでした。でも、仕事が辛いことはなかった。辛かったのは1人の時間です。夜になると、いろいろなことを考えてしまって。刑務所では、「あの時、こうすればよかったな」と人生の分岐点について考えてばかりいました。

 27歳のとき僕はプロダクションの「研音」と喧嘩別れしたんですけど「我慢すればよかったな」と思いましたね。当時、「ハリウッドに行きたい」って伝えたら却下されて、それが原因で辞めたんです。その後、1人でアメリカに行って、エージェントに売り込んで、ゼロから人脈を作っていました。アメリカに行ったこと自体を後悔しているわけではない。ただ、辞めていなければ人生は違ったのかなと。クスリに手を出したきっかけになってしまいましたからね。事務所から貰っていた給料は月に150万円。別途でCMはギャラの半分を貰ってた。振り返れば、本当によくしてくれたんだなと思います。

 逮捕されてから、元嫁(矢田亜希子)とは会っていません。拘置所から「迷惑をかけてごめん。息子に会わせてくれ」と手紙を送ったのですが、返事が来ない。釈放されてからも連絡が取れない。報道では、逮捕前から離婚寸前だったとか書かれましたけど、そんなことはなかったはずなんですが。

■もう一度俳優をやりたい

 自分が犯した罪(保護責任者遺棄罪、麻薬取締法違反)に関しては、深く反省しています。それしかない。ただ、裁判員の方から、「伝えなくてはいけない事実がある。文通しましょう」と手紙を貰ったことがありました。たしかに、(ホステスの)田中香織さんが亡くなったのは事実ですが、「じゃあ、この人はどれだけ本当のことを分かっているんだろう」と反発を覚えて返事をしませんでした。

 事件にはいろんな人が関わっていました。その中には、今でもニコニコ笑ってテレビに出ている人もいます。でも、僕は何もしゃべっていない。仲間を売ることはできないと思ったからです。でも、フタを開けたら、皆が“押尾がやったこと”と僕を売っていた。今さら何かを言うつもりはないけど、その人たちは今、ビクビクしているんじゃないですか。僕のことを「お兄ちゃん」とか「兄弟」とか呼んでいた奴まで裏切ったわけですから。これは一生、忘れることができない。

 それでも俳優に復帰する望みは捨てていない。現状では、どこも受け入れてくれないことも覚悟の上だ。

 演技については常に意識をしているんです。映画を観ても「自分ならこの台詞をどう言うか」とか。だめだったら地味にコツコツと働くしかない。リミットは5年後の42歳ですかね。ちょうど厄年ですか。それと、今新メンバーで自分のバンド「LIV」の曲も作っています。いつリリースするかは考えていませんが、応援してくれるファンも残っているんで、せめてそこには応えたいんです。

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 マイナスからのスタートを切る押尾の敗者復活戦。5年後に世の中は彼を受け入れているだろうか。

「特別ワイド 迷宮60年の最終判決」より

週刊新潮 2016年3月10日号掲載

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