“あっ、APMだ!”「麻生閣下」から逃げ回る「石原伸晃」新大臣

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 甘利明氏(66)に代わって「経済再生担当相」に起用された石原伸晃氏(58)は、父親(石原慎太郎氏)の七光りに叔父(故・石原裕次郎氏)の七光り。合わせて「十四光り」と言われるボンボン議員であることは言うまでもない。慶応大学卒業後、日本テレビへ入社。報道局で記者をしていた。元同僚は「仕事はぜんぜんできなかった」と、口を揃える。元上司はこう言う。

「85年、当時彼は運輸省を担当していてね。日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落した際、休暇中で連絡先を知らせず、イタリアに旅行に行っていた。我々は八方手を尽くし、やっと連絡を付けたのですが、彼は“後はよろしくお願いします”と伝え、旅行を続けたのです。これは今なお日テレ報道局史上に残る致命的失態と言われています」

石原伸晃氏(58)

 90年2月に初当選。01年、小泉内閣で行革担当大臣として初入閣を果たす。07年8月に政調会長、自民党が下野していた10年9月には幹事長に就任。今や派閥を率いる重鎮となったのだ。しかし、起用と同時に、内閣や党内から不安の声が続出したことには理由がある。最も目立ったのは、

「石原さんは(経済財政運営に関して)あまり得意でないかもしれないが、頑張ってもらえることを期待している」

 麻生財務大臣が、こう嫌味ったらしく話したことだ。

■2012年の自民党総裁選

 自民党のベテラン職員が言うには、

「麻生さんが幹事長時代、石原さんが麻生さんに何かを報告している場に出くわしたことがあります。彼は、直立不動で物凄く緊張している感じでした。石原さんにとって、麻生さんは大先輩です。関係もそう悪くなかった」

 ところが、ある“事件”を機に亀裂が入る。

「12年9月、自民党総裁選に幹事長だった石原さんが、総裁の谷垣禎一さんを差し置いて出馬を決めた。民主党を追い詰めた最大の功労者である谷垣さんが出るべきと考え、自身も支援するつもりでいましたからね。麻生さんは筋を通さない人は大嫌い。石原さんに激怒したのです」(同)

 石原氏は明智光秀と同じに映ったようである。

■“あっ、APMだ!”

 総裁選では、福島の第一原発を「サティアン」呼ばわりし、問題になった。その影響で選挙は惨敗し、安倍総裁が誕生。同年末の総選挙で自民党は政権復帰を果たし、石原氏は環境大臣に起用された。

「正直言って、環境大臣は幹事長経験者がやるようなポストじゃない。伸晃さんは、打診されて激怒していました。周囲に説得されて受けたものの、ほとんどやる気なし。公務で訪れた先で、ダイビングやシュノーケリングをやっていたと報じられ、挙げ句、福島の中間貯蔵施設建設を巡る『金目発言』で不信任決議案を提出されてしまったのです」(同)

 その後、麻生氏との関係を修復したかといえば、

「石原さんも一言、お詫びでもすれば良かったんですが、結局、そのままになっています。石原さんは、陰で麻生さんのことを“APM”と呼ぶ。つまり、麻生プライムミニスター(総理)を略して、そう名付けているのです」(同)

 麻生氏のことが、名前を呼びたくないほど嫌いなのか、それともバカにしているのかは定かでないが、

「例えば、永田町で麻生さんを見つけると、“あっ、APMだ!”なんて小声で言って、身を隠したりする始末です。総裁選の一件以来、麻生さんとは面と向かって話したくないのでしょうね」(同)

「特集 麻生財務大臣が嫌味! 甘利前大臣は引継ぎを拒否? 谷垣幹事長も恨みあり! そして甦る『バカ伝説』!『石原伸晃』TPP大臣にムカムカする『安倍内閣』の面々」より

週刊新潮 2016年2月11月号掲載

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