【新事実】理玖君の母親はなぜ消えたか――「厚木市幼児餓死白骨化事件」の語られざる側面

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 昨年5月に神奈川県厚木市のアパートから幼児の白骨遺体が見つかった事件で、10月22日、殺人罪に問われた父親・齋藤幸裕(37)に懲役19年の判決が下された。

 事件は、家出した母親に代って3歳の一人息子・理玖君の世話をしていた齋藤が、しだいに育児をなおざりにし、食事の回数を減らして餓死させたという陰惨極まりないものだった。さらに齋藤は、遺体発見を怖れて、部屋の家賃を7年間も払い続けていた。

 作家の石井光太氏は、「新潮45」で、この事件について詳しくレポートしている。「夫婦はなぜ我が子を捨てたか 厚木市幼児餓死白骨化事件」と題された記事には、捜査でも裁判でもまったくと言っていいほど触れられなかったある重要な事実が詳しく検証してある。それは、理玖君の母親(34)について、である。

 裁判長は齋藤に対し、「親としての自覚がなく、自己中心的な犯行」と断罪した。しかしながら、養育能力のない齋藤のもとに理玖君を置き去りにして消えた母親はどうだったのか。石井氏は、この母親の「家出」に焦点を当て、事実関係を精査している。

 家出は、2004年10月7日のこと。実はこの日の午前4時半、理玖君は路上に一人でいるところを発見され、警察に保護されていた。トラック運転手の父親は仕事中で、母親もどこかへ外出しており、ともに家には不在だった。

 母親は裁判に出廷し、この日のことを、

「自殺したいと仕事場の同僚から言われ、引き止めるために西新宿のマンションへ行っていた」

 と語っている。そして児童相談所、父親経由で連絡をもらい、理玖君を引き取ったという。

 だが極めて不可解なことに、その日の午後、彼女は帰宅した齋藤に理玖君を預け、「買い物に行く」と外に出てそのまま姿を晦ましてしまうのだ。そしてその後はいっさい連絡が取れなくなった。

 彼女は裁判で、その理由を「幸裕の暴力が怖かったから」と、自身も被害者であることを強調しつつ答えている。だが、理玖君の保護された時、それを警察にも児童相談所にも相談した形跡はない。

 石井氏は、当時、彼女が勤めていた職場を割り出した。それは風俗店だった。そしてその店長と同僚風俗嬢に話を聞いてまわった。

 彼女はトラブルメーカーだったという。当時の店長が語る。

「あいつ、シャワー後に客と個室に入ると、しばらくして壁を叩いて『客に本番やられた!』って騒ぎ出すんです。店長の俺としては、従業員を信じて客を追い出すしかないですよね。でも、ほとんどが嘘なんです。本番されたって嘘つけば、客にサービスをせずに五分で終って金だけもらえるでしょ。それが目的なんです」

 そして問題の家出の日の「西新宿の自殺を図ろうとした同僚」についてはこう言う。

「そんな子いないっすよ。新宿から一時間かけて本厚木まで働きに来るわけないじゃないですか。新宿の方がずっと儲かります。うちで働くのはこの近辺の子ばっかです」

 その店からは突然「バックレた」。その時期は、家出の時期と一致する。この時、何らかの差し迫った状況に彼女は置かれたのであろう。

 さらに石井氏は、生まれ育った箱根の旅館周辺も取材し、彼女の父親が“蒸発”していることを知る。そして、

「愛美佳(母親のこと、仮名)は父親とそっくりです。嘘をつくところも、浪費癖も、家族を一切合財捨てて家出してしまうところも。真似してるんじゃないかって思うぐらい……」

 という生々しい親族の証言を得るのだ。

 石井氏はその一族の内実も詳述していくが、夫と3歳の子供がいる中で風俗嬢になり、やがて我が子を捨てた彼女の背景には、あまりに荒んだ生育環境と家族関係があったのだった。

 むろん齋藤幸裕のやったことで、一つとして妻に転嫁できるものはない。齋藤が理玖君を救える機会は幾度もあったし、育児放棄の大きな理由が新しい恋人との逢瀬というからあきれるほかはない。現在、量刑を不服として控訴中だが、懲役19年も妥当に思える。

 しかしながら、彼女が何事もなくそのまま社会で暮らしていくことには違和感を覚えないわけにはいかない。

 死のきっかけを作り、養育義務がありながらそれを放棄したもう一人の親をそのままにしては、また同じような事件が起きるのではないか――石井氏はそんな危惧を記しつつ、筆をおいている。

新潮45 2016年1月号掲載

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