「ナチス略奪美術品」の深い闇――福田直子(ジャーナリスト)

社会新潮45 2015年11月号掲載

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「御用美術家」の言い分

 一方、ナチス党が政権を掌握するやいなや、幹部は美術品の収集に奔走するようになる。特に画家になれなかったヒットラーは、美術や建築に対する執念を持ち続け、ナチスのナンバー2のゲーリングも次々に美術品を集めていった。ヒットラーと異なり、ゲーリングはゴーギャンやゴッホなど印象派の作品も収集していった。

 ナチス幹部は、ゲーリング以外、古典的なアルテ・マイスターや肉体美を強調した北方美術様式を重んじ、徹底的に現代美術を嫌った。印象派や近代美術の新潮流に精神学用語の「退廃」という言葉をあてて、劣った美術品として組織的な回収をしたのはナチス以外に例がない。

 こうして退廃美術の烙印を押された約2万点の美術品が全国から没収され、ベルリンの貯蔵庫に集められた。しかし、利用方法を考えないと宝のもちぐされである。これをどのように扱うかについては美術専門家が必要となった。

 作品はまず3つに分類された。市場価値がなく破壊されるべき作品、とりあえずは倉庫に保存する作品、そして、戦争資金のもととなる外貨を稼ぐため外国に売られるべき作品、である。ナチスは欧州の美術史さえ書き換えようとしたのだ。

 第二次世界大戦の勃発後はさらに大規模な略奪計画が実行されるようになる。占領地域からはユダヤ人収集家のコレクションなどが次々に「帝国出国税」として税関に差し押さえられ、略奪は組織的になっていった。資産価値があるとみられるものは美術品以外に、食器、宝石、書籍など、個人宅以外にも図書館、公文書館、教会、修道院から容赦なく没収した。

 略奪に関する「総統命令」は占領下となったフランスでも実行され、のちにポーランドをはじめとする東ヨーロッパに拡大していった。1941年から44年までにフランスからドイツへ鉄道で運ばれた美術品だけでも4千箱を超えたという。

 ヒットラーが青年時代を過ごしたオーストリアのドナウ川沿い、小都市リンツに世界最大の美術館を建設するという「リンツ特別計画」も動き出した。こうした中、美術品の目利きとしての「ナチス御用美術家」となったヒルデブラントは美術品の価値を査定し、ドイツ国外で売り、外貨を稼ぐために国外の買い手を探す役目を請けおい、多忙を極めることになる。

 戦後、ヒルデブラント・グルリットはこう述べている。

「私は印象派などの現代美術品をナチスから救うためにいろいろな方策をとった」と。ヒルデブラントはナチスに与するふりをし、印象派などの美術品が保存されることに心血を注いだという。ところが、ナチスの口座に売り上げ金を送金する一方、ヒルデブラントはせっせとコミッションを稼ぎ、密かに自分の美術品コレクションも増やしていった。

 グルリットとその家族は、敗戦間際にドレスデンから南部ドイツの知人の城へ逃れていたところ、米軍に捕らえられ、持っていた美術品も没収された。その取調べを受けたとき、書面で戦禍を免れた自分のコレクションの所有の正当性を述べ、美術品をどのようにして入手したかを説明した。

 ヒルデブラントが連合軍に書いた1950年12月13日付けの手紙には、「ほとんどの作品は私が直接、画家たちから購入したもので、ナチスの手から保護しようとしたものだ。ユダヤ人の所有であった絵画はひとつもない」とあった。

 連合軍に押収された所蔵コレクションは5年後、すべてヒルデブラントのもとに返還された。ヒルデブラント・グルリットのようにユダヤのバックグラウンドを持ちながらナチスに与した人物をどう裁くべきであったのか。戦後の復興が優先された時代に、こういった「グレーゾーン」の人物たちは、なんのおとがめもなくもとの仕事につき、「自分たちはナチではなかった」と、大手を振って生きていく。戦後ドイツの立て直しのためにはナチス時代の経歴を大目にみるという連合軍の追及のあいまいさを利用し、グルリットも「経歴ロンダリング」に成功した。

 それは美術界だけでなく、政界、経済界、司法界など専門知識とネットワークを擁する特殊な世界でも同じで、旧ナチス関係者たちは互いにかばいあい、便宜をはかった。

 グルリットが所蔵していた美術品の画家のリストには錚々たる名が並ぶ。デューラー、ティエポロ、ドラクロア、ロダン、ベックマン、リーバーマン、ディックス、ココシュカ、ロートレック、マッケ、ピカソ、シャガール、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ピサロ、コロー……。北斎や歌麿など、日本の浮世絵も15点ほど含まれている。当局の発表によれば、美術品は、額縁入りの作品が121点、ほとんどが額縁なしで、油絵は少なく、素描、デッサン、水彩画、リトグラフ、版画が多い。その中には、戦前、ロンドンで焼失したと思われていた松方コレクションの作品がまぎれこんでいるのではないかと、上野の国立西洋美術館にもコンタクトが入ったという。

 ともかくドイツ政府は、「タスク・フォース」を設立し、ドイツだけでなく、ハンガリー、イスラエル、アメリカ、フランスなどの美術研究者や法律家など専門家を招集した。タスク・フォースの任務は主に美術品の「来歴調査」である。

 美術品の歴史を調査する「来歴調査」(プロブナンス)とは、作品が完成し、画家のアトリエから誰によって購入されたか、最初の持ち主を調べ、現在にいたるまでどのような経路を経てきたか、「作品の足どり」を調べるという探偵がやるような仕事だ。ナチスが台頭する以前に遡り、個々の所有者を特定するためには、多大な時間と労力、専門性が必要となる。「物言わぬ美術品」には、ときには持ち主や購入者が押したスタンプが残っていることもあるが、大半のケースではなんらかのヒントを求めて古文書、書簡など膨大な資料にあたらなくてはならない。

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