鬼怒川決壊「濁流の町」生死の分かれ目

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▼ブラックホークで50人を吊り上げた「ヘリボーン部隊」
▼地雷敷設専用の水陸両用車がトラ猫を助けた
▼国交省が黙認! 「太陽光発電」業者の堤防掘削
▼流れてきたせんべいの袋で2晩生き抜いた孤立87歳
▼「電柱おじさん」を救った「奇跡のへーベルハウス」

「車軸を流す」――という言葉が譬えに聞こえないほど、9月初旬に東日本を襲った雨脚はすさまじいものであった。荒れ狂う空から放たれた無数の雨粒は、一つの意思を持ったかのように川を越え、堤防を破り、「濁流」となって人々の生死を分かっていったのである。

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堤防が決壊し、濁流は住宅地に一気に押し寄せてきた

 渦巻く濁流の上でホバリングする自衛隊のヘリ。下を見ると、斜めにかたむいた電柱にしがみついた男性が大きく手を振っている。何度も旋回を繰り返したヘリは決意を固めたように、一気に電柱に近づくと、男性を吊り上げ、灰色の空へと飛び立っていった――。

 関東・東北の各地に被害をもたらした今回の集中豪雨で、最も甚大な影響が残った、茨城県の常総市。一時は23名もの行方不明者を生んだこの町の救いとなったのは、電柱にしがみついたまま3時間耐え、生き抜いた64歳の男性の姿だ。救出までの「生死の分かれ目」の一部始終がテレビカメラに捉えられ、日本中を注目させたが、

「ヘリコプターがこっちに来たので“あっちにもっと大変な人がいますよー”と、指さしておじさんのことを必死に伝えたんです」

 と語るのは、その電柱の横の家で2階に上り、救助を待っていた一家の母親(37)である。

 救出劇が繰り広げられる中、家屋や大木が次々と泥流に流されていくのを横目に、すっくと立ち続けていたこの白壁の住宅は、「旭化成ホームズ」の建売であったことから、「奇跡のへーベルハウス」と話題になり、今や親会社・旭化成の評価までうなぎ上りになるほどの騒ぎになっている。

災害でビクともしなかったへーベルハウスの住宅

 この地に流れる鬼怒川の上流に、叩きつけるような雨が降ったのは、9月9日の夕方のことだった。24時間の雨量が400ミリを超える「50年に一度の大雨」。

 膨張した雨水は、上流から150キロ以上下のここ常総市でついに限界を迎えた。翌9月10日の12時50分に、市内石下地区で堤防が決壊し、濁流は住宅地に一気に押し寄せてきたのである。

 先の母親が続ける。

「避難のために荷物をまとめる中、ふと外を見ると、向こうの川から水がザザーとこっちに押し寄せてきた。そしてあっという間に家の前が浸水してしまったんです。“このままでは外に出られない”と頭が真っ白になりました」

 母親は急ぎ2人の子どもを2階に上げた。それから20分もしないうちに家に水が入り、1階は冠水した。

「この時にはもう水嵩は増し、周りの家が次々と流されていった。うちも2階まで水が届きそうになり、恐怖を感じました。2階のベランダから携帯で“来てください”“助けてください”と110番をし、救助のヘリが何台も空中を飛んでいたので手を振りましたが、近くまでは来るけど、うちには降りてくれません。周囲には水に流されている人もいたくらいなので、そちらを優先していたのでしょう」

 と、1機のヘリがようやく家に近づいてきた。「助かった……」と思った彼女の目に入ったのは、真横の電柱にしがみついて助けを待つ、年配の男性の姿だった。

「あちらの方がはるかに危ない状態だったのに、ヘリは気が付いていない様子でした。で、咄嗟に“このままではおじさんが流されちゃう!”と、必死でおじさんを指さしたり、腕を振ったりして、ヘリに訴えたのです。もちろん私たちも怖かったけど、おじさんは手の力だけで掴まっている状態。それに気付いてもらうのに必死でした」

 電柱の男性は無事救出。続いて母親と2人の子どもが自衛隊のヘリで救われたのは、その1時間後のこと。避難所で夫と再会、一家4人が無事揃った時、彼女はただただ安堵の気持ちでいっぱいになったという。

■“鍛えているんで”

 こうして4名の命を守ったように、関東・東北豪雨で改めて目立ったのは、自衛隊の活動であった。

 軍事ジャーナリストの世良光弘氏は言う。

「とりわけ高度な技術を見せたのは、電柱の男性を吊り上げた、陸上自衛隊の第12ヘリコプター隊です。彼らが所属する第12旅団は異色の組織で、陸自で唯一、ヘリコプターと隊員とを一体で運用するヘリボーン部隊。トラックや戦車の代わりにヘリを足に使い、有事となれば、どの部隊よりも先に現場に向かい、隊員を降ろして作戦を展開する。昨年の御嶽山噴火の時も活躍していましたし、例えば、首都直下型地震が起きた場合は真っ先に乗り込み、最前線で救助活動に当たると言われています」

陸上自衛隊のヘリコプターで救助された行方不明者の一人

 部隊は、ハリウッド映画の題材にもなったヘリ『ブラックホーク』を駆使し、13日現在で既に55名を救出しているが、続いては、「陸」からの活動で命を救われた事例である。

「僕は食事もなく、11時間もずぶ濡れのまま救出を待っていた。あのまま一晩過ごしていたら、確実に衰弱していたと思います」

 と言うのは、市内のアパートに住む、30代のサラリーマンだ。

「10日の朝9時には浸水が始まりました。“どうしようか?”と不動産屋に電話で相談をしている間にも、どんどん水が増えてきて、備え付けのシンクが泥水に乗って部屋の中を流れるまでになったのです」

 瞬く間に水は首まで上がった。男性は慌てて2階のベランダに駆けのぼった。

「そこには住人7人が集まっていました。みんなでヘリに向かってタオルを振り、大声を上げましたが助けはきません。そうこうしているうち、気温も体温もどんどん下がっていきました」

 絶望の淵に沈んだ男性が救われたのは、辺りがすっかり暗くなった夜8時。救世主となったのは、水面をつたってきた自衛隊のボート部隊である。

「舟は20人乗りでした。自衛隊の方が10人ほど付いていましたが、1人を残して水中に降り、僕らや犬猫を乗せて胸まで浸かりながらボートを押してくれたんです。寒さも忘れて、隊員さんに“大丈夫ですか?”と聞くと、“鍛えているんで”と笑うだけ。普段なら歩いて10分ほどの避難所まで1時間もかかりましたが、その間、ずっとこちらのことを気づかってくれました」

 今回、自衛隊が派遣した中で注目されるのは、「94式水際地雷敷設装置」という車両だ。これは本来、海岸に地雷を敷設するための水陸両用車である。自衛隊はこれにボートを載せ、水の中を進む。そして水没した家の近くに来ると、ボートを出して近づき、安否確認をするのだという。

「うちは床上まで浸かってしまったんですが――」

 とは、同じく市内に住む50代の男性。

「避難の際、犬まで連れていくわけにはいかん、と泣く泣く置いてきてしまったんです。うちの爺さんがそれを知って“なんとか助けてやりたい”“誰も行かんならワシ1人でも行く”と言って聞かない。自衛隊の人に頼んだら、私たち夫婦と、猫を置いてけぼりにした別のご夫婦を、水陸両用車に乗せ、自宅まで連れていってくれたんです」

 犬と、白黒の縞のトラ猫は、いかつい地雷敷設車に乗って見事生還。安保法案の審議が佳境に入る中、反対派から「人殺し」とまで罵られることもある自衛隊は、足元で犬猫の命まで救っていたのだ。

■先祖代々の警戒心

 その一方で、自衛隊の救助を断り、2晩も生き抜いた猛者も――。

「10日の午前中は、家内を連れて一旦は避難所へ行っていたんだよ」

 と語るのは、飯野光夫さん。御年87である。

「でも、愛着のある家だから心配で、午後、4つ下の弟と一緒に家に戻ったんだ。大事なものを流されないよう、柱にくくりつけていたら、1階が浸水し始めた。慌てて外を見ると、川から高さ1メートルくらいの水が転がるように押し寄せてきて、あっと言う間に水浸し。2階に上って周りを見ると、一面が泥水に浸かって、まるで海の中に取り残されたような気分だった」

 辺りは暗くなり、「籠城」を覚悟した飯野さん。まず確保しなければならないのは、食糧と水である。

「何かないかと思って、下半身素っ裸で1階に下りていったんだ。そうしたら運よく、25枚入りのせんべいの袋がぷかぷか流れてきて、20本入りのお茶のケースも浮いてきた。これで何とかしのげたよ。お茶飲んでせんべいを食べると腹の中で膨らむでしょ。結構、腹いっぱいになったよ」

 無論、電気は通らない。真っ暗闇の中、夜は2階に布団を敷いて寝た。

「でもなかなか眠れないんだよな。ボコボコって水の音が聞こえてきて、ああなんかが沈む音だなあ、なんかが流れ着いた音だなあって……気分がいいもんじゃないぞ。でも、すぐに水は引くと思っていたし、長年住んだ家が心配だから、そのまま11日も救助を断って家にいたんだよ」

 しかし、次第にせんべいも尽きてくる。代わりに見つけたパイの詰め合わせや柿の種で空腹をしのいでいたが、これも明けて12日になると底をついてきた。

「もう限界だと思って、ベランダに出てヘリに手を振ったんだ。家内はさすがにオレが死んだと思っていたようだな」

 飯野さんはこうして「行方不明者」のリストから外れたのである。

 さて、最後に耳を傾けたいのは、「越水」地点についての証言だ。

 鬼怒川の堤防が常総市内で「決壊」したことは既に記したが、その上流5キロ地点の若宮戸地区では、堤防を水が乗り越える「越水」が起こっていた。この付近には昨年、太陽光発電業者がソーラーパネルを建設。その過程で堤防を150メートルに亘り、高さ2メートルも掘削していたのが報じられている。当然、越水も工事が原因との声が上がっているのだが、

堤防決壊で太陽光パネルが見るも無残な姿に

「あの砂の堤防を削っちゃいけねぇというのは、先祖代々からの言い伝えだったんだよ」

 とは、堤防の近くに家を構える小林康裕さん(66)。

「俺は小さいころから親や爺ちゃんに“あそこの砂は取っちゃいけねぇ”と言われていた。昔はさ、鍋底を洗うのに砂を使うことがあったんだけど、それを持ってくるのだって“やめた方がえぇ”と言われたくらい。それくらい大水への警戒心が強かったんだよな」

 それゆえ、小林さんは、業者が掘削を始めた昨年3月、国土交通省の出張所に電話を入れたのだという。

「昔、高度経済成長期の頃、宅地用に砂の需要があると言うので、地主が堤防を切り崩して売ったことがあったのね。そしたら当時の建設省の役人に“これ以上削ると堤防の役目を果たさなくなって危ないからやめた方がいい”って忠告されたことがあった。そこで地主は言う通りにして、それが堤防として残っていたわけ。だから、後釜の国交省に“何で今度は止めないのさ”と意見したんだ」

 すると、

「あいつらは、“当時の役人って誰なの?”“もう亡くなってる人でしょ?”って全く取り合わないんだよ。それから1年でこの結果でしょ。責任をしっかり明らかにしてくれないと、全くもって納得がいかねぇな」

 常総市の行方不明者は14日時点で未だ15名。彼らに災いをもたらしたのは、果たして「天」か、それとも「人」であったのか――。

週刊新潮 2015年9月24日菊咲月増大号掲載

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