文士を動かす好不況の波/『カネと文学』

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 えげつないタイトルである。しかし、なんとも魅力的なテーマではないか。
 貧乏をものともせず、反俗を覚悟した近代日本の作家たちが、こと志に反して(?)、俗中の俗たるカネを手にする。
 明治の御代、一葉が啄木が、なんら報われることなく、巷で窮死した。鴎外は陸軍軍医が本職であり、漱石は朝日新聞小説記者として死んだ。
 カネの流入は大正八年に劇的に起こった。「改造」「解放」という新雑誌の参入による原稿料大幅アップ、千部、百部の単位だった単行本が万、十万の部数になる。余沢が広く行き渡る。ここを境にして、出版はビジネスとなり、書物の流通環境も整備され、「小説家が経済的に成功して憧れの職業」となっていく。
 景気後退の局面はすぐにやってくるが、危機をバネにした起死回生の策が功を奏する。定価一冊一円の低価格お徳用全集「円本」のブームである。通説ではここからが文運興隆となるのだが、このあとも好不況の波が繰り返されるさまを著者は見逃さない。ここが「カネと文学」の一番の読みどころだろう。
 昭和初年、悲しいかな、読者の購買力は限られていた。円本一極集中で他の本は売れない、出る余地がない(そんな状況を冷静に見ているのが内務省の検閲担当官だったりしたという)。

 しかし、円本畏るべし。その効果はじわじわと効いていく。円本という巨大ストックが読書家たちの教養インフラをつくっていく。将来の拡大基調を着実に準備してくれたのだ。
 作家がステータスを獲得していくのには、もう一つの要因がありそうである。新聞、婦人雑誌、娯楽雑誌の連載小説で「文壇の大御所」となった菊池寛、久米正雄といった旧制一高出身者のインフラ整備である。急増する文士を糾合して文芸家協会をつくり、自分たちの権利を主張し、社会的地位は向上していく。それは支那事変での文士たちペン部隊の派遣にまでつながっていった。
 読みどころ満載の本書だが、赤裸々という意味でも心ひかれたのが、伊藤整と舟橋聖一という二人の流行作家の懐ろ具合である。伊藤は『太平洋戦争日記』という刊本を、舟橋は著者が古書店から入手した日記を、それぞれ査察に入った税務署員よろしく調べあげている。
 伊藤整の大著『日本文壇史』をかつて拾い読みした時、文士の生活を描くのにカネと数字にあくまでも執着していることが印象的だった。つまり、伊藤整は本書の著者・山本教授のはるかなる先達だったのだ。
 伊藤の戦時下の日記は、家計簿も兼ねたかのように詳しい。伊藤家の経済状態が一目瞭然である。原稿料も印税も前借も丸わかりだ。意外なことに、家族に病人を抱え、自分の健康にも不安のある伊藤整という中堅作家が、注文と貯金が増え、昭和十八年には世田谷に一万六千円の家を買えてしまうのだ(昭和二十年の疎開時に五万円で売却)。こうして支那事変以降の出版インフレの状況が明らかにされていく。
 伊藤整が流行作家になるのは、チャタレイ裁判の被告として名を知られてからだろう。山本教授お手製の「作家の高額所得者番付」を見ると、昭和三十年に十位で顔を出している。そのあと伊藤整は「わがブーム始末記」という戯文を書かされる(「文藝春秋」昭31・1)。「私は、金は大してほしくない」、金がほしいなら東京商大を中退して文士にはならないと断りつつ、人々の好奇心を満足させるために、数字をあげてベストセラーの決算報告書を出している(多大な予定納税額を徴収した税務署への腹いせの抗議文でもあるようだ)。このサービス精神が高額所得者への道なのか。
 もう一人の舟橋聖一は「所得番付」には昭和二十八年から三十六年までほぼ顔を出す常連組だ。山本教授が入手したのは三十七年から四十三年の日記だから、舟橋にとっては不本意な下降期にあたり、苦渋に満ちた数字が頻出する。舟橋本人にとってはさぞ悔しいことだろう。どうせなら、オレ様の“花の生涯”の時期の日記を探してこい、と。
 連載小説の原稿料交渉では「諾否保留」にし、単行本の初版部数では社長、専務相手の交渉が不調に終わり「腹を立てる」。文学賞を受賞した自信作なのに「やっと5000部再版」。そこに著者は舟橋の嘆息をききとる。
 舟橋は自分の原稿料が一番高いと自慢し、その値上げが業界全体の稿料も引き上げると信じていた。税金問題にも関心が深く、必要経費を認めさせるためにGHQに接近までした。文芸家協会理事長としての使命感、作家たちのボスとしての自負、それらはすべて数字に還元できると本気だった。その憎めないキャラクターが日記からも立ち上がってくる。
 カネと文学の話は尽きない。貧乏物をよく書いた私小説作家・尾崎一雄の回想録『あの日この日』にならっていえば、本書は「文学の高峰」を扱っている。今回は照明のあたらなかった「裾野」のほうの経済状態も知りたくなる。
 井伏鱒二など戦前の阿佐ヶ谷文士のおカネのやりくりはどうなっていたのかとか、太宰治の実家からの仕送りはとか、内田百閒の借金の返済はとか。それから、自ら出版社を経営し、莫大な借金を背負った広津和郎、和田芳恵、宇野千代・北原武夫夫妻らの「文士の商法」の実態はとか。個人的負債の返済のために北原武夫は官能小説を書きまくり、わずか五年で完済した。北原武夫のそれらの小説を、十代の頃、ずいぶん愛読してお世話になったものだ。

[評者]平山周吉(雑文家)

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