「感謝の気持ちを持って飲みに行かないかんねん」…豪放磊落な酒豪“やしきたかじんさん”が明かした「破天荒なことするから芸人なんや」に託した思い
夕刊紙・日刊ゲンダイで数多くのインタビュー記事を執筆・担当し、現在も同紙で記事を手がけているコラムニストの峯田淳さんが第一線で活躍する有名人たちの“心の支え”になっている言葉、運命を変えた人との出会いを振り返る「人生を変えた『あの人』のひと言」。第92回はやしきたかじんさん。多くの武勇伝や感涙エピソードのあるたかじんさんが残した言葉を探ります。(文中敬称略)
【写真を見る】たかじんの番組にノーギャラ出演。秘話を明かした関東の超大物芸人
インタビューを申し込むも…
12年前の2014年、64歳の若さで亡くなったやしきたかじんのことは、今も時々思い出すことがある。
酒豪、無頼漢、破天荒など、様々な形容で語られる関西ならではの人だが、例えば、藤山寛美といった、もう一昔前の芸人とは異なるイメージ……言うなれば、やっさん(横山やすし)系とでもいうのか、豪放磊落に見えて実はとても繊細、それでいて物の言いようが直截的な人だったと思う。
そんな規格外のキャラによって「たかじんnoばぁ~」(読売テレビ)など数々の番組を成功させ、関西の視聴率男としてその名をとどろかせた。
実は、たかじんにインタビューすることは叶わなかったのだが、東京に進出してきた90年代前半、何度もお願いはしていた。ギャンブルの仕事で関西に何度か出かけた際、一緒に遊んでいた放送作家がいた。当時のことだから、必ず話題になったのがたかじんのことで、彼はたかじんとマネージャー双方に付き合いがあり、連絡先を教えてくれた。
そのマネージャーのことは、たかじんが著書『たかじん胸いっぱい』(KKベストセラーズ)でこう書いている。
〈もし彼がいてくれなかったら、今の“やしきたかじん”はなかったであろう〉
〈彼は世界一、いや宇宙一のマネージャーである〉
視聴率のたかじんが東京に進出したのは、92年の秋から。「テレビ近未来研究所」(TBS)、「M10」(テレビ朝日)とラジオの3本だが、半年後の93年3月には番組を全部降りた。「日本のテレビを変える」意気込みだったというが、あえなくの撤退である。
しかし、時を同じくして歌手として「東京」をヒットさせている。このあたりがまさに波乱万丈の人ということだろう。
マネージャーにアプローチしていたのはちょうどこの時期。番組収録のために上京した折、「収録の合間に時間を取ることができるかも」ということだった。
東京から撤退した一番の理由は「M10」の“味の素事件”だったといわれている。番組の中でたかじんは料理することになっていたが、スタッフに頼んであった味の素がスタジオになかった。それが彼の怒りを買ったのだという。ただ、本人は「理由はいろいろあるのだが」として〈東京でのレギュラー番組がスタートした時点から、ぼくはどうも気持ちが乗っていなかった〉(前掲書)とも書いている。そもそも東京の水が合わなかったのではないか。
そんな中、しつこくマネージャーにインタビューをお願いしていたわけで、実現しなかったのも仕方がない。
たかじんは3回結婚している。私生活は奔放そのもの。酒にまつわるエピソードは尽きることがない。大阪の新地はじめ、そこかしこで番組出演者らとハシゴ酒をするのがお約束。お金には無頓着。喧嘩っ早いから、いざこざの類は日常茶飯事だったようだ。
それでも、荒れているというより、江戸っ子的な気風のよさを感じて、どこか憎めないのがたかじんだ。
[1/2ページ]


