「あなたの成人式はありません」…デビュー40年「島津亜矢」が語った厳格な母との“二人三脚”人生 14歳で上京、四畳半の下積み生活、「紅白」初出場で贈られた“プレゼント”とは
「歌怪獣」の異名を持つ歌手・島津亜矢(55)。デビュー40周年を迎えた彼女の歌手人生を支えてきたのは、誰よりも厳しく、深い愛情を注いでくれた母親だった。14歳で故郷・熊本を離れ、ホームシックに泣いた日々。上京した母と四畳半の部屋で暮らした下積み時代。そして30歳で念願の「紅白」初出場を果たしたとき、母から贈られた忘れられないプレゼント。苦難をともに乗り越えた母娘の知られざるエピソードと、年老いた母への現在の思いを、島津が率直に語った。
【全2回の第2回】
【聞き手・構成:中村竜太郎/ジャーナリスト】
【写真を見る】5歳~29歳 「歌怪獣」になる前の島津亜矢、秘蔵写真
若い頃は年間100本以上のコンサートを
――島津さんは年間どれくらいのコンサートをやられていますか。
いまは年間50本ぐらいだと思います。若い頃は年間100本以上こなしていました。移動も含めてスケジュールが過密だったこともあり、常に歌っているような感覚でした。あまりの忙しさに、自分がどこにいるのかわからなくなることもあって、ステージに上がる前に「ここはどこでしたっけ?」と聞くような状態でした。年齢とともに喉の衰えも感じますし、酷使して痛めてしまうと歌手活動ができなくなります。ですから、喉の調子や体調を見ながらコンサートをさせていただいています。
でも、実はいまがデビュー以来、一番幸せを感じながら歌わせていただいております。お客様と心が通い合う2時間の生のステージが大好き。お客様が楽しんでくださっていたら最高ですし、皆さんのおかげで充実した日々を過ごさせていただいています。
祖母へのコレクトコール
――過去のインタビューでは、お母様に「初めて聴いた歌を15分で覚えるように指示された」「覚えられないとトイレや押し入れに閉じ込められた」と明かしておられます。お母様は島津さんを歌手にしようと思っていたのでしょうか。
母は、私を歌手にしようという気はなかったんです。私が生まれるときに、演歌が歌える子が生まれたらいいなとは思ったそうですけど、歌手になってほしいとまでは考えていなかった。
実際、私が13歳のときにテイチクさんにスカウトされて、「歌手になりたいから東京へ行かせて」と懇願したら、母から「あんた13歳よ。親のもとで勉強することがいっぱい残ってるけん。この先、神様がまたチャンスをくださるはずだから待ちなさい」と言い聞かされました。でも、子供だった私は「そんなチャンスなんて巡ってくるわけない」と言い張って、必死に頼み込みました。父は泣いていましたが、最後に母が「そんなに行きたいなら行け。でも中途半端な気持ちではいかんたい。一人前になるまでうちの敷居をまたがんでね」と。
それで上京したのですが、すぐにホームシックになってしまって。母に「東京はなんか怖い」と電話したら、「自分で選んだんでしょ。電話かけてこんで」と、ガチャンと切られてしまいました。だから毎日のようにコレクトコールで祖母に電話していました。祖母は一緒に泣いてくれて、「帰っておいで。おばあちゃんが迎えに行くけ、いつでも帰っておいで」と優しい言葉をかけてくれました。でもね、電話を切ってよくよく考えると、「帰っておいで」と言われたら、かえって帰れないんですよね。祖母はそんなふうに優しかったけれど、母はずっと私を突き放していました。
[1/3ページ]


