「あなたの成人式はありません」…デビュー40年「島津亜矢」が語った厳格な母との“二人三脚”人生 14歳で上京、四畳半の下積み生活、「紅白」初出場で贈られた“プレゼント”とは

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母とジュニア布団で…

――14歳で上京されて、さぞ心細かったでしょう。

 そうですね。最初は事務所の社長さんのお宅に居候していました。その後、いろいろあって母が1年後に上京してきてくれて、二人で小さなアパートに住むことになりました。苦労話みたいなのは嫌なのですが、四畳半一間の狭い部屋で、布団を一枚敷けば、ほとんど身動きが取れないほどでした。母と二人、小さなジュニア布団で寝ていた時期もありました。

 それから少し広い部屋に引っ越すこともできましたが、母はずっと一緒にいてくれて、仕事もいつも一緒でした。でも、あの頃はつらいと思ったこともなかったですし、それが普通で、当たり前だと思っていました。いま振り返ると、楽しかったなあ。あの頃があったから、いまがあります。たくさんの方とも出会えたし、ファンの方々も一緒に歩んでくださった。いろいろな意味で、心から感謝しています。

約1年間のブランク

――19歳で事務所を移籍され、約1年間のブランクがありました。デビューから「紅白」出場まで15年間。当時の芸能界はいま以上に厳しい面もあったと思いますが、どんな日々だったのでしょうか。

 最初は夢と希望に満ちあふれていたので、何があっても楽しかったですし、とにかく絶対に負けないという思いで頑張っていました。ただ、やっぱり思うようにならないことのほうが多かったですね。子供だったので、頭ではわかっていても、そういうことがつらかったのだろうなと思います。

 一番つらかったのは、最初の事務所を辞めて、1年間くらい歌えない時期があったことです。でも、テイチクさんが「声が落ちるといけないから」と、ボイストレーニングだけは続けさせてくださった。それが心の支えになっていました。「いつか絶対に再デビューする」と心に誓っていましたが、実際には何も決まっていなくて、本当はずっと不安でした。

オリコンチャートで1位に

 そんな厳しい状況のなか、「愛染かつらをもう一度」という歌で再出発させていただきました。発売当時、キャンペーンで丸亀ボートを訪れ、ホテルで母と朝食をとっていたときのことです。マネージャーさんがスポーツ新聞を手に、向こうから走ってきたんです。

「『愛染かつらをもう一度』がオリコンチャートで1位になってる!」

 そのときは本当に嬉しかったですね。その後、コンサートツアーを組ませていただけるようになり、自分のトラックも持たせていただきました。スタッフさんやバンドの皆さんなど、一緒に歩んでくださる仲間が増えたことも、とても嬉しかったです。

紅白に初出場を果たす

 どんなときも母がそばにいてくれました。でも、決して私を甘やかさなかった。どんなにいいことがあっても、嬉しいことがあっても、「おまえ、いまじゃないぞ」とたしなめられるんです。

 実は私、成人式をやっていないんです。母が「あんたの成人式はないです。お祝いもしません。なぜなら、あんたはまだ道の途中だから」と言って。そして30歳のとき、念願だった「紅白」に初出場させていただきました。そのとき、母が指輪を買ってくれたんです。

「おめでとう。成人式もやってあげなかったけど、でもここからがスタートだね。成人式のお祝いと合わせた指輪だよ」

 母と私、お揃いの指輪でした。本当に嬉しかったですね。母はとても厳しくて、腹が立って喧嘩もよくしました。でも、母はこんなにも大きな愛情で私を突き放していたんだなと、そのとき初めて知りました。

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