「審判の判断は絶対」で片づけていいのか…高校サッカー「誤審問題」のウラに審判を欺き、有利な判定を引き出すことに精を出してきた弊害も

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審判は絶対ではない

 そして何より提言したいのは、「選手自身の実感や判断」をどう採用するか、しないのかの議論だ。

 この試合の映像を見れば、蹴った選手も、セーブしきれなかったGKも、そして両チームの選手たちもみなPKの成功を確信している。誰一人、「外れている!」と主張する様子はない。そのことがなぜ尊重されないのか?

 スポーツ界は長い間、「審判は絶対だ」という前提で運営されてきた。たとえ理不尽と思える判定でも受け容れる、「それがサッカーだ」「それが野球だ」などと教えられ、我慢する以外ないという不文律があった。理不尽な判定で勝利を奪われ、夢舞台への道を断たれた選手たちは「無数に」と言っていいくらい存在している。それで良いはずがない。いま、その聖域が崩れつつあるのは歓迎すべきことだが、その今でさえタブー視されている奇妙な鉄則がある。「選手が判定に口を出してはいけない」という“わきまえ”だ。

 この試合も、後になって主催者たちが「協議」する必要なんて本来はないと感じている。それがスポーツマンシップを愛するスポーツライターの明快な姿勢だ。勝者も敗者も、「だってあのPKは決まっていたもん」「勝負はついたよ、もう終わり」となぜ叫べないのか。選手たちの試合を選手以外の大人の論理で裁く不思議さ。審判の立場や判断が優先されるのは本末転倒ではないか。選手が自分の実感をしっかり主張できる環境を作る方向性も一考に値する。ただ現状のままではそれも難しい。自分に有利な主張をする選手が現時点では多いことも否めない。それはこれまでのスポーツ界が、いかに審判を欺くか、有利な判定を引き出すかの技術や感覚を身につける方向に向かいがちだった弊害だ。それこそスポーツマンシップを冒涜する、悲しい状況ではないか。

 今後は、正しい体感を育て、セルフジャッジの精度の高い選手を育成する指導や日々のトレーニングが重要だと熱望する。

 以上の原稿を書き終えた直後、10月29日に東京都高体連サッカー専門部の公式ホームページに下記の発表が掲示された。

 次回戦進出チームを決定するために実施したPK戦において、ゴールネットの破損に気づかずに進行した結果、東海大学付属高輪台高等学校の13人目のキックに対するゴール判定に重大な誤りがあったことが判明したため、主催者である東京都サッカー協会および東京都高体連サッカー専門部が協議を行い、主催者の判断により、次回戦進出チームを東海大学付属高輪台高等学校とすることを決定いたしました。

 当初の判定どおり、13人目のPK成功が認められ、東海大高輪台が準決勝に進むことになった。“玉虫色の決着“が案じられた中、毅然とこの決定を採用した大会主催者に敬意を表したい。

スポーツライター・小林信也

デイリー新潮編集部

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