尾崎豊の『15の夜』歌詞誕生秘話 「自由になれた気がした」というフレーズの背後に、プロデューサー・須藤晃さんの助言が
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回取り上げるのは、10月7日、74歳で逝去した音楽プロデューサーの須藤晃さん。
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【写真】亡くなるわずか20日前に撮影された、尾崎豊(当時26)のポートレート
人がみな 同じ方角に向いて行く。それを横より見てゐる心。
石川啄木の『悲しき玩具』にあるこの短歌を、音楽プロデューサーの須藤晃さんは、常に心に留めていた。目に映る世相や流行の奥にある人々の気持ちは何だろうと考え続けたのだ。
音楽評論家で尚美学園大学名誉教授の富澤一誠さんは振り返る。
「ミュージシャンがどんな衝動を持ち、何を伝えたいのかが須藤さんの最大の関心事でした。尾崎豊が(1982年に)CBS・ソニー(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)のオーディションに合格した当初、流行とは正反対だと社内の評価は高くなかった。二人の出会いがなければ尾崎は若者の反抗の象徴のような表面的なイメージにとどまり、内面が深くくみ取られることはなかったはず」
“自由になれた気がする”という歌詞に「ただ者じゃない」
当時、尾崎は16歳の高校生。須藤さんは30歳。二人は約1年にわたり隔週のペースでゆったり会話を重ねた。尾崎は持参したノートを見せる。そこには“自分はなぜ存在するのか”“自由とは、愛とは何か”などと悩みを真面目に突き詰める文章があった。やがて歌詞の原形を書き始めるが、須藤さんは指導せず、彼自身に考えさせていく。
2012年、須藤さんは本誌(「週刊新潮」)の取材に、〈“バイクで飛ばしているだけじゃなくて、その裏側にある気持ちも書かないと”と指摘したら、“自由になれた気がする”と書いてきた。この人はただ者じゃない、と思いましたよ。“気がする”だけで、本当は全然自由になれていない。切ないじゃないですか〉と述懐している。反抗したが結局何もできなかった無力感に言葉は昇華され、尾崎のデビュー曲「15の夜」に結実した。
「時代錯誤だと尾崎が笑い者にされず共感を集めたのは、本気だと歌詞から伝わったからです」(富澤さん)
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