尾崎豊の『15の夜』歌詞誕生秘話 「自由になれた気がした」というフレーズの背後に、プロデューサー・須藤晃さんの助言が
「本人も気付いていない魅力を探し続けた」
52年、富山県小杉町(現・射水市)生まれ。東京大学で英米文学を学ぶ。詩人を志したが、77年にCBS・ソニーに入社。音楽の素養がないため現場で軽くあしらわれた。ならばと納得できるまで聞いた。アーティストととことん話し合うスタイルが確立できたのは村下孝蔵が「初恋」(83年)の制作にあたり、駆け出しの須藤さんのまだ拙い意見にも丁寧に向き合ってくれたからだ。レコードジャケットに切り絵を用いたのも須藤さんの提案だ。厳しく激励してくれたのは同い年の浜田省吾だと感謝していた。
音楽評論家の増渕英紀さんは言う。
「思慮深い文学青年でした。細かな指示を出すのでなく、アーティスト本人も気付いていなかった魅力や表現の切り口を、歌詞を中心に一緒に探し続けた。尾崎にしても魂の叫びを損なわずに聴き手が共有できる形にしていく。須藤さん自身も発見や学びがあり、育てるというより並走していた」
制作時は徹底して話し合うが親しく交際はしない。私生活に踏み込まなかった。
「玉置浩二に本当の姿を気付かせたのも須藤さん」
尾崎は92年、26歳で急逝。亡き後も尾崎の曲の魅力を語るなど“並走”は続いた。
尾崎の長男、裕哉さんが音楽を志すと、一人のアーティストとして尊重し静かに支えた。没後20年の節目を迎えた12年には、60冊ほどの創作ノートの内容を公開した。当時、本誌に〈存在の意味を模索し、あがき続けた10年。ノートを読み通すと生身の“人間・尾崎豊”が浮き上がってくるのです〉と述べている。
「安全地帯のクールなボーカルより純朴な自然人が本当の姿なのではと玉置浩二に気付かせたのも須藤さん。『田園』(96年)のプロデュースと作詞に参加、“生きていくんだ それでいいんだ”とのフレーズには玉置の飾らぬ姿が重なる。歌い手の内面を無理なく伝える名手でした」(富澤さん)
10月7日、74歳で逝去。思惑が目立ってしまう作品は作り物になると自戒する謙虚さは生涯一貫していた。
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