田中角栄の「供養塔」が豊臣秀吉の墓所の隣に建立 なぜ高野山の一等地に?
全長約2キロにわたり戦国武将や歴史上の有名人の墓所が立ち並ぶ高野山の「奥之院」。少し歩けば上杉謙信、織田信長、石田三成などの墓碑に会うことができるが、豊臣(秀吉)家の供養塔もその一つだ。
【写真を見る】「豊臣秀吉の隣に……!」 高野山に建てられた田中角栄の供養塔
今年9月、その豊臣家の墓所の隣に新しく供養塔と顕彰碑が造られた。広さは約11坪あり、豊臣家のそれと比べてもひけを取らない。
供養塔には「田中角栄」と刻まれている。太閤・秀吉の墓所の隣に「今太閤」の墓所が建ったのだから、いやが上にも目立つが、建てたのは今年2月に設立された「田中角栄顕彰会」という団体である。
それにしても、なぜ高野山に田中元首相の供養塔が建立されたのだろう。そもそも田中角栄顕彰会とはどんな団体なのか。
そこで、顕彰会会長の酒谷高志氏(56)に聞いてみる。
「私は若い頃から田中先生を尊敬していて、その業績を後世に伝える場所をつくりたいと思っていたのです。それが、たまたま高野山を訪ねた際に豊臣家の墓所の横が空いているのを見つけた。田中先生を記念する碑を建てるならここしかないと思って、場所を管理する親王院さんにお願いしてみたのです」
場所は高野山の中でも一等地である。過去に何人もの人が“豊臣さんの隣に墓を建てたい”と申し入れてきたが、親王院は断り続けてきたという。
「ところが、親王院の山下良仁さんという監事の方が話を熱心に聞いてくださり、墓所の建立を認めてくれた。これはもう運が良いというしかありません」(同)
田中ファミリーの「和解」の場所に?
酒谷氏の本業はIP(知財)を海外に輸出するなどの仕事である。一方で田中一族とも縁がある。元首相が東京・神楽坂の芸者との間にもうけた二人の兄弟(田中京氏、田中祐氏)と昔から付き合いがあり、兄の京氏とは以前「田中角栄平和祈念財団」の運営に関わって縁があり、また弟の祐氏とは「田中角榮文化財団」の理事として一緒に名を連ねている。
そうした田中家との縁も供養塔を建てる理由の一つ、と酒谷氏は言うのだが、今回はそれだけではない。酒谷氏は建立にあたって、角栄氏の長女の田中真紀子氏の了解も得たいと考えた。しかし、真紀子氏と田中兄弟の関係は難しい。1993年に元首相が亡くなった際、京氏は真紀子氏からご遺体との面会を断られている。
「田中兄弟と関係のある私が頼むと断られるかもしれません。そこで政界にも顔が広い親王院の山下さんにお願いしたのです。すると、真紀子さんが代表取締役相談役を務める越後交通に連絡をしてくれて、彼女から直接了解をもらえた。田中家全員の了解を得たことから、安心して供養塔を建てられるようになったわけです」(酒谷氏)
田中ファミリーの「和解」の場所にもなるのだろうか。






