「炎鵬」結婚報道に「伊勢ヶ濱親方」が激怒? 慶事の発表が2カ月以上も遅れた“語られざる理由”

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 10月20日、大相撲の元幕内で十両の炎鵬(32)が結婚したことを、所属する伊勢ヶ濱部屋がSNSで発表した。身長167センチ、体重107キロの小兵ながら鮮やかな下手投げが持ち味で、その端整な顔立ちから“ひねり王子”の異名も持つ。怪我に泣いた時期が長かったこともあり好角家の間でも祝福ムードが広がっているのだが、入籍は8月だという。なぜ今頃の発表に?

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 伊勢ヶ濱部屋のInstagramには、羽織袴姿の炎鵬の写真とともに《このたび、炎鵬関が結婚いたしましたことをご報告申し上げます》とのメッセージが掲載。それに続いて、本人のコメントも発表された。

《いつも温かいご声援をいただき、誠にありがとうございます。/私事ではございますが、このたび結婚いたしましたことをご報告申し上げます。/日頃より支えてくださる皆様への感謝を忘れず、これからは一家の主としての責任も胸に刻み、より一層相撲道に精進してまいります。/今後とも変わらぬご指導、ご鞭撻ならびに温かいご声援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。》

 1万3000もの“いいね!”がつけられ、祝福のメッセージも寄せられた。ただし、炎鵬結婚の第一報はこれより1週間以上も前、炎鵬の地元・石川県の地方紙「北國新聞」が報じていた。しかも入籍は8月だったという。

《大相撲十両の炎鵬(31)=金沢市出身、伊勢ケ浜部屋=が結婚したことが分かった。関係者によると、11日に同市内で開かれた激励会で、支援者らに報告した。相手は滋賀県出身で、8月8日に入籍した。》(北國新聞:10月12日朝刊)

 なぜ炎鵬が金沢にいたかといえば、12日に「大相撲金沢場所」(主催:北國新聞社)が開催されたからだ。地元に戻った炎鵬のため、激励会が開かれるのは当然だろう。

 だが、この報道が出ても、なぜかスポーツ紙は“後追い”をしなかった。ようやく報道したのは、それから8日後、冒頭のように伊勢ヶ濱部屋がSNSで発表してからだった。

史上初の快挙

 2017年に横綱・白鵬の内弟子として宮城野部屋(当時の親方は元竹葉山の12代宮城野)に入門した炎鵬は、翌18年の3月場所で十両に昇進、翌年5月場所で新入幕を果たした。19年の7月場所は9勝6敗で勝ち越し。当時は体重が99キロで、100キロ未満の力士が幕内で勝ち越すのは22年ぶりの快挙。技能賞を受賞した。

 だがその後は怪我や病気に泣いた。23年1月場所で眼窩底骨折を負い手術、5月場所では頸部椎間板ヘルニアに加え脊髄損傷で引退の危機に。さらに、24年2月には同門の北青鵬による後輩力士への暴行行為が発覚。すでに親方となっていた白鵬(13代宮城野)の監督責任が問われ、炎鵬ら一門は伊勢ヶ濱部屋の預かりに。休場が続いた炎鵬は序ノ口まで陥落するも、24年7月場所で1年2カ月ぶりに土俵に上がった。そして今年の3月場所では東幕下4枚目で5勝2敗の成績をあげ、十両に復帰。幕内経験者が序ノ口まで番付を下げ、そこから十両に復帰するのは史上初の快挙だった。

 それだけに地元ファンは応援せずにはいられない。炎鵬だって後援会やファンを前に結婚したことを隠し続けるのは心苦しかったに違いない。それにしても、金沢場所の内容はスポーツ紙も報じているから北國新聞の報道だって知っていただろう。なぜこんな慶事を後追いしなかったのか。とあるスポーツ紙記者は言う。

「伊勢ヶ濱部屋から正式発表がないのに報じるのはね……。もちろん我々だって、炎鵬に尋ねてはいたんですよ。でも師匠の許しがないため口をつぐんじゃってたんです」

 師匠が発表を許さなかった?

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