「来年もユニフォームを着られると思うなよ」 闘将・星野仙一氏の檄に通じる中日「工藤新監督」訓示の意味 OB投手は「星野さんに負けず劣らずの厳しいメッセージに感じた」

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 野球解説者の前田幸長氏は、10月15日に就任が発表された中日の工藤公康監督とは浅からぬ“接点”を何度も持ち、親交を深めてきた。前田氏は1988年、福岡第一高校のエースとして夏の甲子園に出場すると準優勝に輝く。その年のドラフトではロッテから1位指名を受けて入団。95年には星野仙一氏の監督復帰が決まった中日にトレードで移籍し、2001年にはFA権を行使して巨人に入団した。(前後編の前編)

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 前田氏が巨人に入ると、同じく1999年にFAで移籍してきた工藤氏が存在感を放っていた。ちなみに、前田氏は1970年8月生まれの56歳、工藤氏は63年5月生まれの63歳。前田氏が当時を振り返る。

「『1つ質問すると、10教えてくれる』という先輩でした。優しい先輩というだけでなく、後輩に教えられるほど蓄積が豊富なことに驚かされました。特にスポーツ理論に関する知識や理解は群を抜いていましたね。僕もプロ野球選手として成績を残すためには理論が重要だと考え、勉強を積み重ねてきました。しかし、とても工藤さんには敵いません。フォームに関する理論ならそれなりに理解していても、筋肉に関しては工藤さんのほうが圧倒的に詳しい……という具合です。サプリメントに関する知識に至っては、本当に薬剤師さんと同じレベルだったと思います」

 前田氏は2008年にアメリカへ渡り、テキサス・レンジャーズとマイナー契約を結ぶ。3Aでは5勝3敗の成績を残し、12月に現役引退を表明した。

 翌09年、前田氏は野球解説者として“デビュー”。一方の工藤氏は14年11月、ソフトバンクの監督に就任した。そのため前田氏は解説者として工藤監督を取材する立場になった。

ソフトバンクの事前調査

「解説者の僕は監督の工藤さんと良好な関係を築いていたと自負しています。工藤さんが監督6年目を迎えた2020年、『1軍のピッチングコーチか、ブルペンコーチを担当してほしい』と打診されました。ただ僕は神奈川県で中学生と小学生の硬式野球チームを運営し、指導を担当しています。『申し訳ありませんが、子供たちの指導を最優先にさせてください』と事情を説明して理解してもらいました」(同・前田氏)

 前田氏は解説者として工藤監督に接しながら、「チームが向く目と工藤監督が向く目」に強い関心を持ったという。

「工藤さんはダイエーでもプレーしました。しかし監督を打診するにあたり、ソフトバンクは改めて徹底した調査を行ったと思います。ダイエーの監督だった王貞治会長は当然として、フロント陣も『工藤さんは、こういう人だ』と人間像をしっかり把握していたのが印象的でした。だからこそ『秋山幸二さんの次は工藤さんしかいない』と上層部の意思統一ができたのでしょう。チームと工藤さんの向く視線は、ぴたりと同じでした。ソフトバンクは“常勝”を求めるチームなので、工藤さんの苦労も並大抵のものではありませんでした。ただしチームと監督が一体化していたのは、工藤監督の強力なバックアップになったはずです」

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