告発系YouTuberは本当に正義の味方なのか 「悪を懲らしめる」はずが…熱狂する人々の心理

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禁じられている私的制裁

 しかし、そんな告発系YouTuberの活動には大きなリスクがある。

 原則として、日本の法律では私的制裁は禁じられている。たとえ誰かが違法行為や不道徳な行為をしていたとしても、個人が勝手に裁きを下し、制裁を加えることは認められない。犯罪に対する処罰は、法律に基づく適正な手続きを経て行われるべきものであり、正義を掲げていれば何をしても許されるわけではない。

 もちろん、社会の不正を告発すること自体には意義がある。マスメディアが悪徳商法や不正行為を追及する際には、十分な取材による事実関係の裏付けや、報道倫理、人権への配慮が求められる。

 しかし、個人で活動する告発系YouTuberの場合、そのようなチェック体制が不十分になりやすい。社会正義の実現を目的としていたとしても、過剰な追及や一方的な断罪によって、告発が事実上の私的制裁に変わってしまうおそれがある。

 さらに問題なのは、YouTubeの仕組みそのものが、過激な告発を生み出しやすいことだ。動画の再生回数を増やすためには、視聴者の興味を引く必要がある。悪質な人物を厳しく追及する動画が人気を集めれば、次はもっと悪質な人物を、もっと激しい言葉で追及することが求められるようになる。

 発信者自身がそのつもりではなくても、視聴者の期待に応えようとするうちに、表現がエスカレートしていく危険性がある。

 また、発信者が特定の人物から情報提供を受けて動画を制作する場合、その情報提供者自身にどのような利害関係があるのかを慎重に見極めなければならない。告発する側が正義の味方で、告発される側が悪人であるとは限らない。場合によっては、誰かが自分にとって都合の悪い相手を攻撃するために、告発系YouTuberの影響力を利用しようとすることも考えられる。

 今回の事件で問われているのは、KENZO個人の責任だけではない。社会正義を娯楽として消費する風潮そのものを考え直さなければいけない。悪を許さないという素朴な感情は、ときとして強い攻撃性を正当化してしまう。

 だが、本来果たされるべき正義とは、疑惑を持たれた人物であっても、その権利や尊厳を守りながら事実を明らかにすることのはずだ。誰かを裁くことに熱中するあまり、そこに存在するリスクから目を背けてはならないのである。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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