「プロ入り拒否」の工藤公康を6位指名、巨人から大物を横取りも…“球界の寝業師”が仕掛けた驚愕のドラフト戦略
入団拒否の工藤公康を6位指名した秘策
これに対し、根本は「伊東はウチの選手だ。他球団には絶対行かせない」と強気の姿勢を崩さず、堂々の単独1位指名を敢行した。
「2位で指名される夢を見た」という伊東も「ビックリしました」と目を白黒させるほどのサプライズだったが、あくまで「ドラフトのルールを守った」クリーンな指名でもあった。
その一方で、熊谷組への入社を決め、プロ入り拒否を明言していた名古屋電気(現・愛工大名電)の左腕・工藤公康を6位で指名する驚きの一手も見せた。
「進学希望なら本人のために指名を避けたかもしれないが、就職するなら、プロもノンプロも一緒」という理由からだった。
そして、「これから交渉する」の言葉どおり、根本は大晦日に名古屋の工藤の自宅を訪問。「あなたの息子さんを、自分の息子だと思って育てます。私に預けてください」と、プロ入りに反対する父を誠心誠意説得した。
最終的には父から「お前は根本さんについていけ」と背中を押され、工藤の逆転入団が年明けに決まった。
野球部のない会社員をドラフト1位指名
1986年には、大学中退後に野球部のない食品会社に就職していた“隠し玉”森山良二を単独1位指名。会場の関係者を驚かせた。
1981年夏に福岡大大濠のエースとして甲子園に出場した森山は、2年続けて早大の受験に失敗すると、地元の北九州大二部に入学。エース兼4番の二刀流として通算7勝、10本塁打を記録したものの、85年12月に「経済的な理由」で中退し、その後は消息不明になっていた。
実は、森山が就職した北九州市の食品会社・ONOフーズの小野昭浩社長は早大野球部OBで、西武・楠城徹スカウトの先輩にあたる。
こうした縁から、根本自身も北九州に出向いてテストに立ち会い、ドラフト下位、もしくはドラフト外で入団させる青写真を描いていた。
ところが、“隠し玉”とはいえ、森山は業界では名の知れた好投手だった。広島のスカウトが行方を探し回り、ドラフト当日には一部スポーツ紙に「隠し玉西武」とすっぱ抜かれてしまう。
結局、他球団に横取りされないよう、1位で指名せざるを得なくなった。根本が森山を「将来指導者や球団の要職に就いてチームに貢献してくれる人物」と見込んでいたことも、1位指名の理由になったという。
森山は入団2年目の88年に10勝を挙げ、新人王を獲得。チームのリーグ4連覇、3年連続日本一にも貢献し、根本の眼力が確かだったことを証明した。
現在はプロ志望届や育成選手制度が定着し、かつてのようなサプライズ指名や“隠し玉”が大きな話題になる機会は少なくなった。
ドラフトのルールを熟知し、時にはその盲点を突きながら、他球団の裏をかいて有力選手を獲得する。根本の手腕には賛否もあったが、会議の最後まで何が起きるかわからないスリルがあった。
「あの頃のドラフトは面白かった!」
“球界の寝業師”が暗躍した時代を、そんな言葉とともに懐かしく思い出すファンも多いことだろう。




