阪神が名前を伏せた「ミスターX」とは? 史上最下位18位指名も…知られざるドラフト秘話
異例の入団と意外な記録
現在も破られていない支配下ドラフト史上最下位指名の記録保持者は、1965年の第1回ドラフトで広島から18位指名を受けた下村栄二(名商大中退)だ。
同年の広島は、ドラフト前に行った入団テストに合格した3人を16位以下で指名。いずれも高校、大学の中退者だった。
このため、特定の球団が選手を中退させて引き抜く行為を防止する目的で設置された臨時新人選択会議が開かれ、他の11球団に獲得意思の有無を確認したうえで、無抽選で広島の交渉権が確定した。
下村は中京商(現・中京大中京)3年だった63年夏、チームが甲子園に出場したが、エースは同学年の三輪田勝利(元阪急)。控えにも名商大で同期となる高井諭(元産経)がおり、ベンチ入りすることもできなかった。
172センチと小柄ながら、カーブが武器でコントロールも良く、当時の長谷川良平監督の現役時代を思わせるタイプ。「左のワンポイントにでもなれば」(同監督)と期待され、2軍ではリリーフで通算4勝を挙げた。
だが、1軍では66年に偵察要員として3試合に出場しただけ。NPBの公式記録でも3試合出場、打席数0となっている。
そのため、守備には就いていないにもかかわらず、投手ではなく一塁手や外野手として出場記録が残っている。
日本ハムと謎の社会人チーム
1970年代には、わずか2年間で3人の投手を同一球団へ送り出した“謎の御用達チーム”が存在した。
愛知県尾張旭市の丹羽鉦電機硬式野球部は73年8月に活動を開始。74年には川原昭二が日本ハムから2位指名を受けた。
翌75年、日本ハムは福島秀喜を1位、中村武義を3位で指名。わずか2年間で同じチームから3投手を指名し、いずれも日本ハム入りする珍事となった。
76年10月、会社の経営悪化に伴って野球部は休部したが、当時在籍していた島田誠は、あけぼの通商へ移籍した後、日本ハムにドラフト外で入団した。
さらに、入社半年で休部となり、同じくあけぼの通商へ移った柴田保光は西武入り。その後、江夏豊とのトレードで日本ハムへ移籍している。
野球部が姿を消した後まで“日本ハム御用達”が続いたわけで、何とも不思議な因縁である。
指名予定の投手の名前を伏せ、スカウト会議でも「ミスターX」のシークレットネームを使ったのが、1994年の阪神だ。
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