「犬を飼いなさい、ドロボウよけには一番です」 闇バイト強盗団とは対照的な「説教強盗」とは? 昭和の帝都を震撼させた“世にも奇妙な犯行”
説教強盗の誕生
盗みに入った家でわざわざ家人を起こし、防犯上の不注意を指摘して、改善点をアドバイス(説教)するという「説教強盗」。東京都内で覚知されたのは昭和2年からだったが、同年8月16日、池袋の会社員宅へ侵入した際、主人に〈泥棒除けの秘法だと言つて「犬を飼え、電燈を点けろ」と二時間の長談義をして現金廿六円を頂戴〉(読売新聞 昭和4年1月21日付夕刊)したのが、説教強盗の始まりと警視庁は見ていた。
後の捜査で分かることだが、高圧的・高飛車な態度で被害者に接すれば必ず騒がれる。相手(被害者)の気持ちを落ち着かせるには、「静かな口調で話しかけるのが一番」――と犯人が認識したのは、昭和2年12月5日、落合町の個人宅での犯行からだった。この時、家人から「改心して真人間にならなくてはいけない」と1時間ほど説教され、お茶だけでなく現金6円まで出された。この時の家人の口調が、心に染みたのだという。
冒頭で記した犯行は、昭和3年12月8日、午前1時ごろに新宿区大久保の会社役員宅に忍び込んだときのものだ。年が明けて4年に入ると、説教強盗は頻繁に犯行を重ねるようになる。1月5日、午前2時50分ごろ、上高井戸にある養老院内で、タバコ売店を営む女性(24)の自宅に侵入。
〈強盗は台所の半窓ガラス戸を破り押し入り物音に(女性が)「どなたです」と声をかけると、犯人は電燈をすっかり消した上懐中電燈をかざしつつ奥六畳間に寝ていた(女性の)枕許に進み、どつかと腰を下し落つき払って「騒ぐといけません静かにしなさい…用事があるんです」と例の静かな物腰で〉(東京朝日新聞 昭和4年1月6日付)
その後、現金10円や指輪、簡易保険通帳を奪って逃走した。それから4日後の10日、午前4時ごろに中野にある音楽学校寄宿舎に姿を現した説教強盗は、
〈黒のオーバーに黒の半ズボン、鳥打帽、黒いえり巻に白木綿の手袋をはめ覆面して〉(同1月11日付)
寝ていた前校長の次男と学生に対し「もしもし、起きてください」と声をかけ、切り裂いた布団の布で二人を後ろ手に縛る。「学生なので金がない」という二人に、学校用務員の女性(50)の部屋へ案内させた。女性は長男(16)と二人で就寝中だったが、「私たちにお金はありません。品物なら何でも持って行ってください」という女性に対し、説教強盗は「いや品物はいりません、坊ちゃんはいくつですか?」と聞いた。16歳で中学2年と答えると、
〈「ハア、私も中学を出て相当な生活をしていたのですが今ぢや困って妻子もありこんなことをするのです、私もこの位の時もあり、あの時はよかつたが、私も不幸な身の上です〉(同)
女性が「悪いことは早くやめなさい」と諭すと、説教強盗は「私もやめたいが、子どもがかわいいので」と言い、部屋に合った貯金箱を見つけると中に入っていた小銭を奪った。「その金はせがれの学費。あした持って行くのです」と言う女性に「気の毒だが、俺も困るんですから一時、貸してください。必ず返しますから」と言って、立ち去った。
後手に回った捜査
さらに翌1月11日、16日、23日、26日にも説教強盗による犯行は続いた。事態を重く見た警視庁は、更なる犯行があった2月1日、意見交換会を開く。集まったのは明治30年以来30年間、東京の治安を預かってきた歴代9人の警視総監だった。
防犯カメラが普及している令和の今とは手法は異なるが、一般に窃盗事件が起きた場合、重視すべきは「窃盗の手口」。常習者の場合、その成功体験から同じ手口を好んで使う例が多く、侵入手口を詳細に分析して過去に検挙した人物との照合を行う。併せて指紋・足跡など、現場での鑑識作業も進めるのがセオリーである。
だが、時は昭和4年。警視庁も捜査第一課(殺人・強盗)、同第二課(詐欺、知能犯)、同第三課(窃盗)などと細かく専門性に富んだ任務分掌はできておらず、捜査課があるのみ。捜査手法は刑事の長年の「カン」や「読み」、そして気合いと根性が入り混じったものだった。
過去の事例から毎月16日及びその周辺は説教強盗が動く日――そうにらんで被害のあった現場近くに警察官を配備しても、その網をくぐられる。次はこの辺りに出るのではないかと要点配備をかけても、引っかからない……警視庁の捜査は完全に後手に回っていた。
【後編は「“吉川線”の生みの親『伝説の鑑識官』の手法が追いつめた『説教強盗』の正体…昭和犯罪史に名を残すミステリアスな事件は『手口捜査』で解明された」】
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