「息子の死の後、両親はますます信仰にのめり込み…」 「エホバの証人」輸血を拒否して長男を失った一家の“その後” 【1985年「輸血拒否」事件】
この9月、宗教団体「エホバの証人」で“大きな動き”があったことが報じられ、話題となっている。
【写真を見る】「たとえ死に至ることがあっても…」両親が病院に出した驚きの輸血拒否「決意書」
同団体は、世俗とは相いれない厳格な倫理規範を持つことで知られるが、その最たるものは輸血を拒否する教義を持つ点だ。「血を避けるように」という聖書の教えに基づき、過去には信者やその家族が病院などでの治療の際、輸血を拒否して死亡する事案が起き、社会問題化してきた。その「エホバの証人」が9月18日、教団HPに声明を公表。事実上の「輸血解禁」と見られる方針転換を行ったと報じられている。
「エホバ」の輸血拒否でもっとも知られるのが、1985年に起きた事案である。神奈川県川崎市で、10歳の少年が交通事故に遭い、病院に搬送された。手術を行う態勢が整えられたが、信者の両親が輸血を拒否。少年は亡くなり、この“事件”は大きな議論を呼んだ。当時の写真誌「FOCUS」の記事を再録して事件の概要を記した【前編】に続き、【後編】では、事案から10年後の「週刊新潮」記事を再録。その後の両親の姿を記してみよう。
【前後編の後編】
(「週刊新潮」1995年4月6日号記事を一部編集の上、再録しました。文中の年齢、肩書き等は記事発売当時のものです)
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近所の人はビックリした
当時、男児の一家は川崎市高津区に住んでおり、書店を経営していた。男児は、3人きょうだいの真ん中だった。
近所の住人の話では、
「このあたりには本屋がなかったので、繁盛してましたよ。ご主人もソフトな感じで、おとなしくて優しい方でした。とても死にそうなわが子を前にして、輸血を拒否できるような人には見えませんでした。エホバの証人の信者だったということは、新聞を見てはじめて知りました。布教活動をしていたわけでもなかったし、近所の人はみんなビックリしたんですよ」
しつこく勧誘された
事件以来、本屋からは客足が途絶え、居づらくなった一家は、まもなく宮前区の木造アパートに転居した。が、その夫妻が、今は「エホバの証人」の宣教団体である「ものみの塔」の会員であることを隠していない。夫妻は当時のことについては一切口を閉ざしているが、事件をきっかけにむしろ積極的に布教活動にのめり込むようになったのだ。
近所の住人によれば、
「奥さんは、ものみの塔の活動をしたり、地元で近所のゴミ拾いをするなどボランティアをしています。引っ越してきた当初は、会員の人を連れてきて、しつこく勧誘されました。ご主人も近所で信者をごっそり集めて布教活動を引っ張っているのを見ますよ」
父親の母、つまり死亡した男児の祖母はこう語る。
「あの事故で息子はすっかり仕事をする気をなくしてしまいました。それで本屋をやめてしまいましたが、今はインテリアや内装関係の会社を共同経営でやっています。息子はむしろ長男をなくしてからあの宗教を熱心に信じるようになったんです」
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