「公安1課の時代は終わりを告げた」…「よど号ハイジャック犯」死亡情報のウラで“公安警察”の地殻変動 過激な左翼や右翼ではない“新たなテロリスト”の存在
「よど号の赤木(志郎容疑者)が逝ったようだ。去年、警視庁公安部の『顔』となるべく、(公安)3課も完全に生まれ変わった。部の看板を担ってきた1課の時代は、これで完全に終わりを告げたわけだ」
かつて警視庁公安部に在籍した70代の元捜査員はこう語ると、感慨深げにため息をついた。赤木容疑者の死亡情報が事実であれば、半世紀以上前の1970年、日航機「よど号」をハイジャックし、北朝鮮へと渡った9人は78歳を最年少に、残り3人となる。左翼による安保闘争の終焉と、テロを激化させた爆弾闘争の開始を象徴したよど号事件が大きな節目を迎えるなか、よど号犯を国際手配し全国の公安警察の中枢を担ってきた警視庁公安部で今、“政権交代”が起きている。その内情を解説する。
安保闘争から爆弾闘争へ
日米安全保障条約の改定や延長は、米国の戦争に日本が巻き込まれることを意味するとして激しい反対運動が起きた1960年と1970年の安保闘争。当初、闘争の中心となったブント(共産主義者同盟)は、70年安保闘争の終了で赤軍派や戦旗派などに分裂。その中でも赤軍派はよど号メンバーと、中東に渡った日本赤軍、そして日本に残り、あさま山荘事件を起こした連合赤軍に再分裂した。
警視庁公安部公安1課は、このブントの後継組織たちに加え、爆弾闘争で暴れまわった中核派と革労協、連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線といった極左過激派集団の捜査を担当。野球にたとえるならば、公安部内の「まさにエースで4番だった」(同元捜査員)。
1986年、東京サミット(先進国首脳会議)で来日した各国トップの歓迎式典が行われた迎賓館を狙い、中核派がロケット弾によるテロを実行すると、公安1課は600人という空前の規模に増員され、捜査を展開した。
「全国47都道府県警で、最も人員の少ない鳥取が1200人余りですから、1つの課で600人という人員がどれだけのものかが良く分かると思います。ロケット弾テロで被害者は出ませんでしたが、日本の面目は丸つぶれでした。コーイチ(公安1課)の捜査には日本警察の威信がかかることとなったわけです」(警察庁元幹部)
その後、迎賓館ロケット弾事件の犯行グループは逮捕され、1課の人員は徐々に平時に戻ってゆき「1998年に革マル派の豊玉アジト(東京都練馬区)の家宅捜索で、デジタル化で盗聴が不可能になっていたはずの警察無線が盗聴されていたという驚愕の事実が発覚しました。そのため革マルの担当を1課から分離。公安2課を革マル専従にしたのです。ですがそれでもコーイチが部の顔であることに変わりはありませんでした」(同元幹部)。
[1/3ページ]


