「ネットニュースで妹が死んだことを知った」 〈佐世保小6同級生殺害事件〉被害女児の兄が明かす、「絶対に泣かない」と決めた理由

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全3回の第2回

 2004年6月1日、長崎県佐世保市で起こった衝撃的な殺人事件の報道が、日本中を駆け巡った。小学校6年生の女の子がカッターナイフで首を切られ、殺されたという。凶行に走ったのは、なんと小学校6年生、11歳のクラスメイト(女児)だった――。

 殺された被害者の父親は、当時、毎日新聞佐世保支局長だった。新聞記者という“取材する側”にいた父親は、一瞬で被害者遺族という“取材される側”となった。父親は「自分が事件取材をする際には、被害者遺族の話を聞きに行くだろうから」と自ら矢面に立ち、娘が殺されてから数時間後に記者会見を行う。被害者と加害者がともに小学校6年生の同級生、被害者の父親がすぐに記者会見を行ったことで、この事件を覚えている人も多いだろう。

 事件当時、大学1年生だった長兄と中学3年生だった次兄を主人公に、2人の半生を1人称で語っていく『僕とぼく』を原作に、漫画『ひみつ』が描かれた。10月8日のコミカライズ発売を記念して、被害者遺族の次兄、原作者で毎日新聞記者の川名壮志さん、『ひみつ』作者の棚園正一さんに、特別鼎談を行ってもらった。

 事件から22年が経つ。『佐世保小6同級生殺人事件』を知らない若者も増えている。被害者遺族が当時、どんな状況で、どんな思いを抱き、事件と対峙しながら人生を送ってきたのか、改めて多くの人に知ってもらいたい。

【構成:高田晶子】

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被害者遺族として、周りとの関係性

 第1回では、女児の兄が明かす、コミカライズへの思い、漫画を読んだ父の反応などについて報じた。

漫画家・棚園正一氏(以下、棚園) この作品の後半では、当初周りから“この子は大丈夫”だと思われていたお兄さんが、学校に行けなくなりますよね。やっぱりそれは、お父さんを気遣って我慢を重ねて、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていって、自分に限界が来てしまった結果だと思うんです。家族の命を奪われるなんて経験とは全く違うのですが、私も実は小学校1年生から中学校3年生まで、ほぼ学校には行けない子どもでした。子どもだったからこそ言えないというか、言葉に変換できない感情があって、その部分とリンクさせて描かせていただいたんですよね。

被害者遺族(次兄)(以下、次兄) 例えば、私が中学校にいて、急に呼び出されて事件のことを知らされたシーンなどは、しっかり描かれている印象を受けました。一貫して、どの教師も顔を背けていましたし、私に対して「どうしたらいいのかわからない」ということが、はっきり顔や態度に出ている大人たちばかりでした。そうなると、そういう大人たちには頼りづらいという印象がありましたし、だからこそより一層、自分が思っていることを口にできなくなっていきました。

 教師たちも、警察の方も、父の職場の方も、それこそ父も兄貴(長兄)も、みんななんとかこの状況を乗り越えることで頭がいっぱいになっていたんだと思います。私に対して、気遣いすぎて、その空気感になってしまったのかなと。そのこと自体、悪いわけでも誰かを責めるわけでもありません。ただ、それを第三者に伝えるって、相当難しいことなんじゃないかなと思うんですよね。

棚園 実は私、お兄さんの講演をお聞きしたことがあるんです。そのなかで一番印象的だったことが、「今、こうして妹を亡くしてからの自分の半生を語っているけれど、『誰かにこうしてもらいたかった、ああしてもらいたかった』と言うつもりは全くない。当時はみんなベストを尽くしてくれた。ただ、『私のような気持ちでいる子どもがいた』ということを知ってもらえたら、この先、何かの事件で遺族になった方に対して、いろいろな応対ができるかもしれない。何かの一つのきっかけになれば」というお話をされていたんですね。

 だから、私もお兄さんが仰っていたことがテーマだなと思っていました。この作品を読み終わった時に、誰かを断罪するというわけではなく、こういう気持ちになるんだということを知ることが、誰かの財産になるのではないかと思って。

次兄 それは繰り返しお話ししていることです。別に誰かにどうしてもらいたかったという気持ちは全くありません。私の経験をこうして話すことで、それを聞いたり読んだりしてくれた方が、いろいろな考えを持ってくれたら、それはすごくありがたいことだなと思っています。この作品は棚園さんが心を込めて描いてくださっていることがよく伝わってきますよ。

「火葬場で燃やすボタンを押すシーンは、ものすごく迷いました」

原作者・川名壮志氏(以下、川名) 棚園さんが描くのに一番難しかったシーンはどこなのでしょうか。

棚園 娘さんが亡くなられたところを見たお父さんのリアクションのシーンは迷いました。迷うというか、想像が及ばないなと思って……。私も今、2歳の子どもがいるのですが、小学生になった子どもが命を奪われるってどういうことなのか、やはり未知の領域で……。だから、今もこの描き方で本当に良かったのかなと逡巡はしています。

川名 わかります。私も火葬場で燃やすボタンを押すシーンは、ものすごく迷いました。そこで御手洗さんが泣き崩れる場面を入れるのは、すごく怖くもありました。それをまして作画にするのは、かなり勇気のいることかなと想像できます。

 あと、私がすごく印象的だったのは、事件後にお兄ちゃん(次兄)が中学校に戻るシーンですね。これだけ大きな事件だったので、同級生もすべて知っているわけですよ。お兄ちゃんが中学校に戻る時に、同級生がどういう立ち振る舞いをするのか、またお兄ちゃんとどんなやりとりをするのか、繊細な心情もうまく描かれていました。

次兄 このシーンは現実に近い感じでしたね。友達が事件前と変わらない感じで接するということを、徹底してくれました。恐らく、友達もすごく頭を抱えて悩んでくれたと思うのですが、私を気遣って、元いた場所を提供してくれた。それが、すごく助けられたというのは間違いないですし、中学校にいる間は一瞬だけ肩の力が抜けて、ほっとできましたから。

 私が講演をすると、聴きに来てくださった方から「(事件の遺族は、第三者から)どうしてほしいのですか」とよく聞かれるんです。私は「何も変わらないでいてほしい」と答えるのですが、戻れる居場所を作っておいてくれることだけでも、すごく救われますから。

被害者(妹)が殺されてから――

棚園 何度も聞かれているとは思うのですが、妹さんが亡くなったと知った時のお話を伺えますでしょうか。その時の心境やどんな光景がこびりついているかなど、お教えいただけますか。

次兄 私は中学校にいて、担任に相談室に呼び出され、何人かの教師に囲まれながら、ネットのニュース記事のコピーを渡されました。その記事に書かれている内容について把握はできるのですが、妹が殺されたということに対して、非現実的すぎて理解が追い付かない。まずは事実を確認したいと思っていましたが、ニュース記事1枚しか情報はありませんでした。

 ここはコミックになった時に、背景が真っ暗になっていて、すごく強調された感じがありました。でも、重い空気やどんよりした気持ちがうまく表現されていたと思います。感情的にはこの真っ黒な背景にすごく近かったなと、今振り返ると思います。

 やっぱり知った瞬間が今まで何度も何度も、そして今でも夢に出てくるシーンになりますね……。

棚園 相談室に3時間くらいいて、そこからお父さんが車で迎えに来て合流しますが、事件直後のお父さんは、お兄さんから見て「自殺しちゃうんじゃないか」というくらい憔悴しきっていた。

次兄 「お父さんは本当に自殺しちゃうかもしれない。一人にしたら、すぐいなくなる。このままどこかから飛び降りてもおかしくない。僕がしっかりしない」と瞬間的に思いました。これ以降は、私は「絶対に泣かない。笑顔でいよう」と決めたんですよね。笑顔でいれば、周りから大丈夫だと思われるから。大丈夫という指標を笑顔に定めたんです。

棚園 川名さんは、この時のお兄さんに対して、何か思い出すことはありますか?

川名 当時、お兄ちゃんは中学3年生の14歳。絶対に取材をしてはいけない、触れてはいけない存在でした。一方、私は新卒4年目のまだまだ青臭い新米記者。この事件について、ある評論家がテレビで「遺族にも話を聞くべきだ」と話していたのを目にしました。そこで、私は「何がジャーナリストだ。エラそうに!」と心底腹が立った。今から考えると、自分自身も報道機関の一員のくせに、勝手ですよね。私はジャーナリズムの残酷さに反発を覚えたと同時に、そこに対して踏み込むことが怖くてできなかったんです。

100日間、休みなく働いた理由

棚園 お父さんは自分が新聞記者という立場もあり、被害者遺族でありながら、事件当日に自分が矢面に立って、記者会見を行いましたね。

川名 それも大丈夫かな……と周りはみんな心配していました。やっぱり一番危なっかしく見えたのは御手洗さんであって、子どもの方には目が行き届いていなかったということが、実際のところだと思います。

 お兄ちゃんも御手洗さんも、そして殺された妹も、毎日新聞佐世保支局が2階、支局長の家族は3階にある建物に住んでいました。だから、御手洗さん一家は毎日のように顔を合わせ、挨拶し、声を掛け、時にはみんなで夕飯を食べるような近しい間柄だった。だからこそ、自分も真正面から事件と向き合うと、恐らく私の身も持たなかった。だからこそ、その逃げ場が仕事でした。つまり新聞記者という鎧をまとっていれば、メンタルが保てたんです。

棚園 川名さんは加害者の少年審判までの100日間、休みなく働かれたとか、

川名 1日も休みませんでした。それはある意味、事件からの“逃げ”であると同時に、自分たちが取材して書いていることの残酷さもわかっていたかた。そのうしろめたさもあって、御手洗さんを意識的に見ないようにしていました。ましてやお兄ちゃんの気持ちを汲むなんてことは、全くできなかったですね。

 第3回では、いまだに謝罪を行っていない加害者への次兄の思いなどについて聞く。

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