押し掛けた「日本マスコミ」200人超に米紙も呆れた…92年「自衛隊PKO派遣」取材で繰り広げられた“ワイドショー演出”と“ジャパン・マネーばら撒き”

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ニュースバリューは超一級

 1992年、日本で注目された国のひとつにカンボジアがある。当時は約20年に及んだ内戦を一旦終え、選挙で選ばれた議会による憲法制定と政府樹立、すなわち国の再建を目指していた。その間の暫定統治をおこなったのが、明石康氏が事務総長特別代表を務める国連の平和維持活動(PKO)機関、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)である。

 国連からの協力要請を受けて決まったのは、史上初の「自衛隊PKO派遣」。停戦監視要員8名と陸上自衛隊員600名は9月下旬から順次現地に入ったが、政府が準備を進める過程からすでに国内世論は二分されていた。特に、同年6月に公布された国際平和協力法を巡っては、審議中に反対派が牛歩戦術を繰り出すなど揉めに揉める様が盛んに報じられた。

 そんな難産の末の自衛隊PKO派遣だけに、ニュースバリューは超一級。その一挙手一投足を報じたいのはマスコミとして当然とばかりに、多数の取材班が現地に飛んだ。が、それもすべては程度によりけりの話。カネにモノを言わせた取材、海外メディアも呆れた過熱ぶり、国際感覚の欠落――当時のカンボジアで何が起きていたのか、「週刊新潮」のバックナンバーで振り返る。

(全2回の第1回:「週刊新潮」1992年10月22日号掲載記事を再編集しました。文中の肩書きや為替レート等は掲載当時のものです)

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まるで大名行列

 プノンペンに駐在するベテラン商社マンの話から紹介しよう。カンボジア内戦が一応のピリオドを打った1991年10月のパリ和平協定成立以前から駐在している人物だ。

「まず驚いたのは、7月はじめに政府の調査団がプノンペン入りした時のことです。どうってことのない調査団なのに、日本のプレスが大挙押し掛けて、金魚のフンみたいに調査団のうしろに車を連ねて延々とそれがつながっていたんです。

 あんまり数が多いので、こちらの人間はみんなびっくり。まるで大名行列みたいだったんで、“日本のプレスはあんなにたくさんやってきてなにを報じるのか”とひとしきり話題になったんですよ。こっちにとってはこっ恥ずかしい話だったんですが、それをきっかけに、日本のマスコミがあっちにもこっちにもやたら目立ち始めたんです」

 高級ホテル「ホテル・カンボジアーナ」の部屋を1社で何部屋も押さえて“支局”に。移動に使うランドクルーザーも、1台あたり何千ドルもつぎ込んで次々と確保。ただでさえ“UNTAC景気”で物価が急上昇しているところに、日本のプレスの大盤振る舞いが拍車をかけ、家賃や土地も含めて際限なく物価が上がるようになったという。

 インフレの原因は、貧弱な経済規模の国にUNTACの10億ドルに及ぶ資金が短期間のうちに落ちたため、経済システムが混乱したからにほかならないが、「フリーのカメラマン、ジャーナリストまで含めるとピーク時には340名に達する」(現地特派員)という報道陣のジャパン・マネーが影響したことも確かである。

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