『豊臣兄弟!』関白に上り詰めた秀吉は「もう一人の弟」の首をはねたのか――宣教師が記した、天下人の残酷な素顔
自分の庶民性を必死に消そうとした
羽柴秀吉(池松壮亮)が、ついに権力の頂点である関白に上り詰めた。関白になれるのは原則として、藤原氏の嫡流である五摂家、すなわち近衛家、九条家、二条家、一条家、鷹司家の出身者にかぎられていた。そこで秀吉は、元関白の近衛前久(前野朋哉)の養子になることで藤原姓を獲得し、ついに関白職に就いた。NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』の第36回「姫若子と鬼若子」(9月20日放送)。
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尾張(愛知県西部)の百姓のせがれが、成人した天皇を補佐して政務にあたる関白になった――という日本史上の一大事。『豊臣兄弟!』の視聴者としても、この瞬間を見せられると、なんだか誇らしい気持ちになるから不思議なものである。
きっかけは天正13年(1585)春、朝廷が秀吉に右大臣への任官を勧めたことだった。秀吉は織田信長の極官(就いた最高の官職)だった右大臣でなく、その上の左大臣への昇進を望んだ。これを受け、右大臣の近衛信輔(のちの信尹)は、自身が左大臣に昇る条件として関白就任を望み、すでに関白だった二条昭実に職を譲るよう求めた。
だが、理不尽な要求を突きつけられた二条昭実は、二条家には就任後1年以内に関白職を辞した先例はないことを理由に抵抗し、この両者の争いは朝廷内を二分するまでになった。正親町天皇もなす術がなく、結局、二条昭実も、近衛信輔も、すでに事実上の最高権力者だった秀吉に調停を依頼。この朝廷内の争いに乗じて、秀吉は自分が関白になってしまったのである。
そのあたりの駆け引きの上手さは、さすが秀吉というほかない。ところで、百姓のせがれが関白に上り詰めて「誇らしい気持ちになる」と前述したのは、秀吉が庶民の希望の星だからだが、関白になってからの秀吉は、自分の庶民性を消すことに必死になった。しかも、そのためにはどんな残酷な手段も辞さなかった。
「弟」を斬首し首を棒に刺し街道筋に曝した
関白になった秀吉がどんなに鬼畜のような所業を重ねようと、秀吉の周囲の人たちは忖度して、最高権力者の醜聞を記すようなことは避けたと思われる。秀吉が隠したいことを書こうものなら、どんな仕打ちを受けるかわからなかった。
だが、秀吉に忖度する必要がない人たちもいた。ヨーロッパから渡ってきた宣教師たちである。イエズス会のポルトガル人宣教師、ルイス・フロイスの『日本史』には、秀吉が秀長や、一般に知られている姉妹以外のきょうだいと接したときの話が記されている。そもそもポルトガル語で書かれており、日本人に読まれる心配はなかった。
最初に、秀吉にとっての秀長以外の弟と思われる人物の話を紹介したい。フロイスは次のように書いている。天正15年(1587)1月、すなわち秀吉が関白に就任して1年半ほどのちのできごとだったという。
「一人の若者が、いずれも美々しく豪華な衣裳をまとった二、三十名の身分の高い武士を従えて大坂の政庁に現われるという出来事があった。この若者は伊勢の国から来たのであり、関白の実の兄弟と自称し、同人を知る多くの人がそれを確信していた」
「関白は、傲慢、尊大、いなそれ以上の軽蔑の念をこめて、自らの母大政所に対し、かの人物を息子として知っているかどうか、そして息子として認めるかどうかと問い質した。彼女はその男を息子として認知することを恥じたので、(中略)苛酷にも彼の申し立てを否定し、人非人的に、そのような者を生んだ覚えはないと言い渡した。その言葉を言い終えるか終えないうちに、件の若者は従者ともども捕縛され、関白の面前で斬首され、それらの首は棒に刺され、都への街道筋に曝された。このように関白は己れの肉親者や血族の者すら己れに不都合とあれば許しはしなかったのである」(松田毅一・川崎桃太訳、以下同)
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