『豊臣兄弟!』関白に上り詰めた秀吉は「もう一人の弟」の首をはねたのか――宣教師が記した、天下人の残酷な素顔
フロイスが記した、もう一人の『弟』
百姓時代からずっと兄弟、姉妹、親族として一緒に暮らし、あるいは交流しながら、少しずつ地位を上げていった人たちのことは、秀吉は原則として大事にした。だが、上り詰めたのちに、かつての身分を引きずり、想起させる「親族」が現われることは、極端なまでに嫌ったようだ。しかも嫌うだけでなく、あまりにも理不尽で残酷な方法で、抹殺したということだろう。
『豊臣兄弟!』の時代考証を務める駿河台大学教授の黒田基樹氏は、秀吉が「兄弟」を斬殺したというフロイスの記述を、自身は「採用していない」と語っている。昨年末、NHK BSで放送された『豊臣政権サミット2026』という番組で、その理由を「彼らは(話を)盛りますから」と語り、この記述が「デマ」だと断じていた。
しかし、フロイスに「デマ」を書く動機があったとは思えない。彼らは神の使命を負い、命を賭して危険な航海を重ね、二度と祖国に帰れないことを覚悟のうえで、極東の地で布教を重ねていた。そして、自分たちの後を追い、身を賭して布教する後進たちが迷わないように、できるだけ詳細に記録を残した。
天正15年(1587)6月にはバテレン追放令を発するなど、キリスト教に厳しく接するようになった秀吉の傲慢さや残虐性を、フロイスらが強調していることは否めない。だが、大げさな記述ならともかく、ウソやデマを書けば、後進たちを道に迷わせることになってしまう。たしかにフロイスらには、キリシタン大名を贔屓し、キリシタンに厳しい秀吉らを酷評するきらいはある。だからといって、話を捏造すれば後進の布教を、むしろ邪魔することになる。なにがあろうと、そんな愚を犯すことだけは、宣教師たちは避けたはずである。
したがって、フロイスが書いた内容は、おおむね史実だと考えられる。
「妹」をだまして呼び出して斬首
さて、フロイスは続いて秀吉の「姉妹」の話も記している。
「その後(註・上記の兄弟の斬殺から)三、四カ月を経、関白は、尾張の国に他に自分の姉妹がいて、貧しい農民らしいことを耳にした。そこで彼は己れの血統が賤しいことを打ち消そうとし、姉妹と認めてそれ相応の待遇をするからと言い、当人が望みもせぬのに彼女を都へ召喚するように命じた。その哀れな女は、使者の悪意と欺瞞に気が付かず、天から良運と幸福が授けられたものと思いこみ、できるだけの準備をし、幾人かの身内の婦人たちに伴われて都に出向いた。しかるにその姉妹は、入京するやいなやただちに捕縛され、他の婦人たちもことごとく無惨にも斬首されてしまった」(同)
フロイスの記述によれば、卑しい生まれであるという事実をこの期におよんで抹殺するために、自分の血縁者をわざわざ探し出しては、首をはねたという秀吉。簒奪した王座を守るために、次々と暗殺を重ねるシェイクスピアの悲劇『マクベス』さえ思わせる。
秀吉は関白になった翌年には、正親町天皇から豊臣の姓を賜った。朝廷の権威を利用して、自分の生まれを覆い隠してはあらたに箔付けしたわけだ。そんなところに、隠した事実を蒸し返すような人物が登場することを、極端に嫌ったということだろう。自分の出自が問い返される契機になりかねない兄弟や姉妹は、殺さなければ自分も家も守れない。そう考えたのではないだろうか。
だが、それでも弟の秀長がいたから、残虐ではあっても、一定の節度は保たれたのではないだろうか。天正19年(1591)1月に秀長が死去したのちは、歯止めが利かなくなった感がある。
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