「これじゃウラ麻生内閣…」の声も高市首相が「麻生頼み」に徹した理由…萩生田氏でも武田良太氏でもなく「鈴木幹事長」続投を選んだ背景

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「一抹の寂しさはある」発言

 続けて「心残りは」と聞かれ、「心情的には、1年近く(記者の)みなさんと一緒に仕事をしてきた。当然、一抹の寂しさというものは感じている」と語った。

 高市が林に留任を求めなかったのか、林が拒んだのか、党内にはなお臆測が飛び交っている。「一抹の寂しさがある」という林の口ぶりからすると、やはり続投を希望していたのではないかと思いたくなる。

 林は18日、都内の講演会で総裁選への意欲を問われ、「あすの(新聞の)見出しになるといけないので、まだ先ことは分からないという程度にさせてもらう」と述べるにとどめた。まだ、総裁選の「戦闘モード」には入っていないようだ。

 毎日新聞(9月18日付)によると、林は「最後まで悩んだが、やはり閣外に出ることにした。仲間の議員たちからも『来年(の総裁選)が最大のチャンスだ』と背中を押され、決めました」と周辺に漏らし、「勝負をかける」と語ったともいう。

 いずれにせよ、林は高市と来年の総裁選で相まみえることになろう。戦わざるを得ない。ならば、「一抹の寂しさ」なんて口に出すのはどうか。こんな姿勢で、これからの厳しい権力闘争を戦えるのだろうか。

 防衛相、農水相、外相、官房長官、総務相などを歴任し、閣僚としての能力、実績は十分。それでも、昨年の総裁選では地方の党員・党友票が伸びず、3位にとどまった。

林はファイティング・ポーズを示すのか?

「林は閣僚なら何でもできるし、英語はできて、ピアノも弾ける。でも、パッション(情熱)が足りない」(自民関係者)との声がある。

 それは、トップリーダーになろうという熱意、意欲、闘争心とも言える。林には、人の心をつかむ何かが足りない。それは高市にあって、林にないものだろう。それは良くも悪くも、がむしゃらに戦う姿勢であり、世論に訴える力、アピール力だろう。

 まだ総裁選は先のことだから、出馬表明は先の話というのも分かるが、既に戦いは事実上、始まっていると言える。林周辺によると、林は「推されれば逃げない」という口癖があるという。つまり、人からしっかり推されないと、自らはなかなか動かないそうだ。林はいつ、ファイティング・ポーズを示すだろうか。

 林は総務相として全国26道府県を回ったと説明していた。無役となった今は孤軍奮闘、全国行脚して地方を回り、同志や地方の支持を集め、高市に戦いを挑まなければならない。結果として、林は閣外に出たことでフリーハンドとなり、戦いやすくなった。

 冷や飯を食いながら「臥薪嘗胆」を続ければ、政治家して一皮剥けるかもしれない。林が今後、非主流派の「反高市」勢力をどこまで増やせるか。それは今後の高市内閣の支持率とも密接に関わる。

参院人事の生々しい舞台裏

 林の閣外離脱より、参院幹事長の石井準一が更迭され、参院議院運営委員長だった青木一彦に交代させたことのほうが、自民党内の衝撃は大きかったという。

 後編【険しい表情で会長室を後に…石井準一氏はなぜ参院幹事長から外れたのか? 「国会を意のままに動かしたい」高市首相が突き進む強硬路線 「今後は“国会対策”が必要なくなるかもしれない」】では、石井の“クビ切り”を巡る生々しい舞台裏と、強硬路線に突き進む高市の危うさについて詳しくお伝えする──。

村田純一(むらた・じゅんいち)
1986年、時事通信社入社。90年から政治部。海部政権で首相番。平河クラブで自民党の小渕恵三幹事長、小沢一郎竹下派会長代行らを取材。民社党、公明党を担当後、羽田政権、村山政権で首相官邸を取材。96年経済部で経団連など財界担当。97年政治部に戻り、自民党の山崎拓政調会長番。選挙班長、防衛庁担当などを経て、2001年8月から05年2月までワシントン特派員。外務省キャップ、政治部次長、福岡支社長などを経て20年7月より時事総合研究所代表取締役。23年6月より現職(時事総研研究員兼務)

デイリー新潮編集部

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