マンションに帰ると、妻と恋人が並んで座っていた。「一緒になったらどう?」「時間を返してよ」…火に油を注いだ42歳夫の言い分

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【前後編の後編/前編を読む】妻と恋人、ふたりに「ゲス野郎」と罵られ… 42歳夫が故郷と東京を行き来する“二重生活”を始めるまで

 内藤裕造さん(42歳・仮名)は、もともとプロボクサーを目指したが、20歳でけがをして挫折した。生きる目標を失った彼に「東京へ行け」と声をかけたのは、母を泣かせていた父だった。父は酒を断って息子を支え、裕造さんは22歳で国立大学に入り、有名企業に就職した。だが、そこでうつ病を発症。退職して故郷へ戻った裕造さんは、中学時代の同級生・真希さんと再会し、28歳で結婚した。婚姻届を出した1週間後には娘が生まれた。しかし、故郷での生活に根を下ろせない裕造さんに、真希さんは「男一匹、ひとりで成功してみろ」と東京行きを勧めた。

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 2年ぶりに会った上司は「元気そうでよかった」と満面の笑みだった。迷惑ばかりかけたのにと言うと、「若いうちはいろいろあるさ」と穏やかに言ってくれた。

「オレがかけあって中途入社の形でなんとか受け入れてもらえるようにするよ。おまえはまじめすぎた。本来の自分を出せとも言ってくれました。ありがたかったですね」

 上司には、本来の「おちゃらけた裕造さん」が見えていたのだろう。無理せず、自分らしく生きていこう。それが気持ちよく送り出してくれた真希さんに報いることにもなるはずだと彼は誓った。

「真希は、『裕ちゃんは自由に生きればいいよ。私はどんなときも味方だよ』と言ってくれたんです。あの言葉はうれしかった。娘に忘れられないよう、最初の1年は月に2回は自宅に戻りました。娘がどんどん大きくなるのがうれしかった。実家の母は真希に、『バカな息子でごめんね』と言い、全面協力してくれていた。親父は何も言わないけど、ときどき孫娘をあやしてくれる。お義父さんとお義母さん、最高だよと真希は言っていました。真希の両親は、真希が小さいころ亡くなったんです。病気だということだったけど、家庭内でいろいろあって、夫婦で心中したという噂もあった。真希自身は『私にもわからないの』と言い、祖父母と暮らしていました」

 ただ、その祖父母も亡くなり、真希さんは天涯孤独だった。支えてくれた勤務先の美容師の先生を母のように慕ってもいた。だからこそ、その地を離れたくなかったのだろう。

だんだんつらくなってきて……飽きちゃうのかも

 裕造さんは、3年間はまじめに働いた。人当たりのよさが受けて、営業職で頭角を現していく。ちょっとチャラいけど実はまじめに仕事をする。そんなキャラが親近感を呼び、他社の上役からもかわいがられた。

「宴会要員みたいに、他社の宴会にも呼ばれて。物まねしたり替え歌を歌ったりしてました。だけどそのうち、そういうキャラはオレのほんの一部なのに、なんだかただのおもしろい人みたいに思われているのがだんだんつらくなってきて……。飽きちゃうのかもしれませんね、ひとつのことをやっているのが」

 例の上司に相談した。「営業としておまえ、絶好調だぞ」と上司は笑った。そんなときにやめるなよと言われたが、「もう無理」と彼は言った。

「上司はわかった、じゃあ違う会社を紹介してやると。考えてみれば、この人もけっこう適当な人だった。紹介されたのは、上司の友人が経営する、広報や宣伝を請け負っている会社でした。イベントを仕切るようなこともありましたね。これがけっこうおもしろくて、はまりました。どうやったら人が楽しんでくれるのかを最優先で考える。徹夜で企画を考えたりしても疲れないんですよ。オレには向いていたんでしょうね」

やっと出会えた楽しい仕事

 初めて仕事が楽しいと思った。自ら宣伝企画をもって大手企業に「うちでイベントをやりませんか」と売り込みに行ったこともある。契約はできなかったが、その熱量が社長に評価された。

「お金はかけられないけど、この予算でどういうことができるのかを考えて実現していくのがおもしろくて。大手広告会社に頼んだらとんでもない値段がかかるけど、うちならこういうこともできますよとアピールしたりして。そのときわかったんです。やっぱりオレは、世間のど真ん中からちょっと下くらいにいて、みんなでわいわいと楽しみながら生きていくのがいいんだと」

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