「元力士の極悪兄弟」と女親分の母、組長の父…一家4人に死刑判決「大牟田4人連続殺人事件」 公判で露呈した“家族の歪な絆”
第1回【15歳の腐乱遺体で発覚「大牟田4人連続殺人事件」 警察署で自分の頭を撃った「組長」と、観音様の刺青を背負った「女親分」の凶悪家庭】を読む。
2004年9月21日、福岡県の諏訪川に浮かんだ少年の遺体をきっかけに発覚した「大牟田4人連続殺人事件」。父母と息子2人で4人の命を奪うという残忍さに加え、ずさんな計画と行き当たりばったりの経緯も社会に衝撃を与えた。
この事件で逮捕されたのは、暴力団・北村組でもあった北村家の4人だった。最初の逮捕者は「女親分」と呼ばれた北村真美。そしてともに元力士の次男・孝紘、長男・孝と続き、最後は警察署で拳銃自殺を図り入院中だった真美の夫で「組長」の実雄。公判で明らかになったのは、暴力団を“ファミリービジネス”としていた一家の歪な絆だった。
(全2回の第2回:「週刊新潮」2004年10月7日号掲載記事を再編集、加筆訂正しました)
***
【写真】被害者1人でも死刑…04年「小1女児殺害」の快楽殺人犯
周囲から恐れられた元力士の兄弟
母親の北村真美に続いて逮捕された長男の孝(23=当時)と次男の孝紘(20)は、中学時代から有名なワルだった。“取り柄”は真美に似た立派な体格で、中学卒業後に角界入りしたほどである。
1996(平成8)年、15歳で入門した当時の孝は身長180センチ、体重118キロ。大島部屋で旭竜神の四股名を名乗ったが、角界には1年もいなかった。真美と実雄は孝が受けた「かわいがり稽古」の被害を週刊誌に告発する一方、当の本人は“大牟田のワル”に戻り、周囲から恐れられる存在になっていく。
孝紘が元大関・若島津の松ヶ根部屋に入門したのは2000(平成12)年のこと。身長173センチ、体重143キロで、三池山を名乗った。引退の経緯には諸説あるが、後に孝紘が出版社に送付した手記『全員死刑 大牟田4人殺害事件「死刑囚」獄中手記』(鈴木智彦、小学館文庫)には「伯母の死」と「兄『孝』の刑事事件」、「首と腰の怪我」が重なったところを自身の「甘えが後押し」したと記されている。
この「兄『孝』の刑事事件」は2000年に起きた。
「石橋建設のタコ部屋から、18歳の作業員が逃亡したことが事件の発端でした。孝たちは作業員の彼女を捕まえて性的暴行を加え、携帯電話で作業員を呼び出させた。そして殴る蹴るのリンチを加えたのです」(地元記者)
その作業員が死亡し、孝は傷害致死で懲役3年6カ月の実刑判決を受けた。事件後、孝紘も大牟田に戻り、やりたい放題の暴走族を経て父・実雄の北村組に入る。
「みんな怖がっている。オレの知り合いは、深夜、港近くの公園で両手首をしばられて、車で引きずり回された。孝紘のグループはよく女を襲っていた」(地元暴走族の1人)
Cさんら4人の殺害と死体遺棄について、孝は関与を否定、孝紘は逮捕当初のみ単独犯を主張したが、後に4人の共謀と自身が手を下した事実を認めた。翌年の初公判までに、孝は福岡地裁久留米支部からの脱走騒ぎを起こしている。
[1/2ページ]


