「元力士の極悪兄弟」と女親分の母、組長の父…一家4人に死刑判決「大牟田4人連続殺人事件」 公判で露呈した“家族の歪な絆”
殺して奪うはずのカネは見つからず
2005年3月15日、福岡地裁久留米支部での初公判で事件の全容が明らかになった。
検察側の冒頭陳述によれば、2004年当時の真美がCさんらから抱えていた借金は約6600万円。Cさんは石橋建設に自宅改装工事を発注したが、この借金との相殺を理由に工事代金を支払わなかった。そこで北村家は「安く買える土地」をエサにしてCさんに多額の現金を用意させ、殺して奪う計画を練る。
9月16日、孝は両親より先に金を奪おうと、報酬500万円で孝紘を誘ってCさん宅へ向かったが、現金がなかったため宝飾品が入った金庫を強奪した。そこにいたA君の首を絞めたのは孝紘である。兄弟はA君を車に運び込んだが、まだ息があったため諏訪川の橋の上で絞殺して川に投げ込んだ。
翌日、真美はCさんを大牟田港に連れ出したが、殺害する踏ん切りがつかなかった。実雄が北村組の部屋にCさんを連れ帰る一方、真美は孝に電話で助けを求める。結果、Cさんは再び連れ出され、車中で孝紘に絞殺された。
北村家は、真美とCさんが一緒にいるところを見たB君(A君の兄)も殺害すると決めていた。が、B君とD君が乗った車に偶然出くわしたため、D君も殺害。引き金を引いたのは実雄から拳銃を渡されていた孝紘である。北村家は3人の遺体を乗せた軽自動車を水没させ、後日に合鍵でCさん宅に侵入したが、やはり目当ての大金はなかった。
北村家の愛憎劇
この初公判で起訴事実を否認したのは、自身の単独犯を主張し続ける実雄と、事件への関与自体を否定する孝だった。真美と孝紘は全面的に認めたが、孝紘は後の手記(『全員死刑』)で孝に命じられていた状況を事細かに書き記している。
認否が割れたことから以後の公判は実雄と孝、真美と孝紘の2組に分けて行われた。そこで露呈したのは、北村家の歪んだ絆と愛憎劇である。罪を被ろうとする実雄、罪をなすりつけあうような証言をする真美と息子たち、真美の証言を聞いて「親とは思っていない」と答える孝、孝の発言に激怒して殴りかかる孝紘――。孝紘が法廷を去る際に「メリークリスマス!」と叫んだ一件も物議を醸した。
真美と孝紘は2006年10月17日、実雄と孝は2007年2月27日にそれぞれ求刑通りに死刑判決を受けた。控訴審ではそれぞれ棄却判決、上告審も同様の判決となり、2011年10月に北村家4人全員の死刑判決が確定。真美と孝紘は福岡拘置所に残り、実雄は広島拘置所へ、孝は大阪拘置所へ移送された。
それからは、孝紘の養子縁組と信書不許可を巡る訴訟、孝の再審請求に向けた動き、真美と実雄の子である3男の自死、孝紘の創作活動などが断続的に報じられた。2026年に入ってからは、体調不良で西日本成人矯正医療センターに移送された実雄が、3月6日に肺炎で死亡したことが公表されている。
***
「北村家なら人殺しだってやりかねない」――第1回【15歳の腐乱遺体で発覚「大牟田4人連続殺人事件」 警察署で自分の頭を撃った「組長」と、観音様の刺青を背負った「女親分」の凶悪家庭】では、事件発覚の経緯などを伝えている。
[2/2ページ]

