「江川卓」が逃した「巨人監督就任」3度のチャンス それを阻んだ“球界のドン” 【監督になれなかった名選手たち】
江川当人の答えは
実は、筆者は「巨人監督の密約」(【前編】参照)について、江川本人に直接電話取材をしたことがある。
「仮にそのような約束があっても長い時間が経っているので、それが今でも生きているとは思いません」
これが江川の答えだった。少年時代からあれほど巨人に憧れ、巨人一筋を貫いてきた男である。寂しさがないわけがない。
この時、筆者は盟友だった生前の星野仙一にも江川の監督問題について聞いている。星野は渡邉恒雄オーナー(当時)とは親密で、実現はしなかったが、内々に巨人監督のオファーも受けていたという関係だった。
「俺が聞いている範囲では、江川の入団時の経緯から“将来幹部にする” といった口約束はあったみたいだな。だから常に候補に挙がるんだ。その約束を遂行しようとする役員が読売にいることは確かだよ」
これはおそらく「氏家の遺言」と呼ばれるものだろう。江川が日本テレビの元会長・氏家齊一郎氏(故人)に可愛がられ、評論家としては異例の年間8000万円というギャラをもらうなど、いわば借金返済の後見人として面倒を見てもらっていたのは有名な話だ。
その氏家会長と現在の読売グループのドン・渡邉恒雄主筆は盟友ともいえる仲で、生前の氏家会長は渡邉主筆に「江川を監督にしてくれ」と言いながら飲んでいたという。だが、その「江川監督」実現の最大の障害になっているのが、まさに思いを託されたはずの渡邉主筆なのだ。
渡邊主筆の激怒
これまで江川が監督になるチャンスは何度かあった。最初の機会は03年。堀内恒夫監督体制で投手コーチを要請された時だ。巨人フロントとしては、ここで現場を経験させてから将来的に監督就任というシナリオを考えていたはずだが、江川は要請を断ってしまう。これに渡邉主筆が激怒した。
「ウチの要請を断った生意気な野郎には、二度と監督要請なんかするな!」
読売の役員会ではこんな怒声が響き渡ったそうだが、以降、渡邉主筆の存在が「江川監督」を阻む最大のネックとなってしまったという。
読売グループでは時の権力者の意向が、現場の人事に強い影響力を持つことはよく知られている。ミスター長嶋茂雄ですら、当時のトップ・務台光雄氏の体制下では「長嶋では勝てない」とされ、第二次政権の誕生は務台氏の死去まで待たなければならなかったほどだ。
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