「オール沖縄」は役目を終えた…「高市が悪い」だけでは説明できない沖縄県知事選の完敗 “人のせいにできない”時代に「古謝玄太氏」は県政を牽引できるか

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街ごとの数字が語ること

 保守系新人の古謝玄太氏の圧勝に終わった沖縄県知事選。オール沖縄が完敗を喫した理由については、保守一本化、抗議船の転覆事故の影響をはじめ様々な要素が挙げられている。そうしたなか、注目すべき点として“街ごとの数字”がある。【篠原章/批評家】

(全2回の第2回)

 第1回【【決定版】「オール沖縄」はなぜ完敗したのか…保革連合からの変質、“辺野古転覆事故”の影響だけではない「玉城デニー」が敗れた“不都合な真実”】からの続き。

 那覇市では、2022年から26年にかけての票の動きが、沖縄県全体の平均よりも大きかった。那覇は主要な基地を抱えていない街であり、むしろオール沖縄の運動が最初に始まった土地である。その那覇でこそ支持の崩れが目立ったというのは象徴的だ。基地を抱える地域の住民が反対運動を支えてきたのではなく、基地から離れた都市部の有権者こそがオール沖縄を支えてきた――。そのことが、数字の上でも裏返しに証明された格好である。

 逆に名護市は、もともと18年の市長選挙以来、保守系の市政が3期続いており、今回の変化は県内で一番小さかった。辺野古の地元では、10年近く前から移設容認が大勢を占めてきた。名護はすでに以前から保守寄りに傾いていた土地であり、今回新しく何かが変わったわけではない、ということになる。

 宮古島市では、県内で一番大きく票が動いた。ここには二つの理由が重なっている。一つは下地氏の地元であり、彼の長年の後援会組織がそのまま古謝氏支持に転じたこと。もう一つは、古謝氏自身の父方の実家が宮古島の老舗そば店であり、本人も「古里は宮古」と公言してきたように、宮古との血縁的なつながりを持っていたことである。組織的な動員と、血縁に基づく郷土意識という、性質の異なる二つの力が同じ場所で重なったことが、県内最大の票の移動を生んだと考えられる。

大きな時代の流れ

 今回の選挙結果は、一つの原因で説明できるものではない。第1回で触れたように、下地氏が退場して保守側の票の分裂という長年の障害が取り除かれたこと、有権者の関心が基地問題から暮らしの問題に移ったこと、若い世代ほど基地問題への思い入れが薄れていること、抗議船の事故が運動全体への信頼を傷つけたこと、SNSがくすぶっていた不満に火をつけたこと、そして妻子のスピーチが候補者像を補ったこと――これらがほぼ同時期に重なって起きたのが今回の選挙だった。下地氏の撤退はこの中でも重要な一手ではあったが、それは元からあった土台の上で最後の障害物を取り除いたに過ぎず、土台そのもの――玉城氏支持の緩やかな崩れ――を作り出したのは、下地氏とは別の、もっと大きな時代の流れだったと言える。

「オール沖縄」は、14年に翁長雄志氏を中心にまとまって以来、12年かけて少しずつ支持基盤を失ってきた。経済界が離れ、名護や那覇の市長選挙で身内から敗れ、政党そのものの力も弱まってきた。すでに述べた通り、18年以降はその中身も保革連合から旧来型の革新共闘へと変質していた。今回の結果は、そうした長い時間をかけた衰えが、いくつもの偶然が重なったことで一気に表面化した瞬間だったと言えるだろう。仮に票差がもっと小さかったとしても、玉城氏が敗れていたなら、それは一回限りの負けというより、これまでの形の「オール沖縄」が役目を終えたことを示す歴史的な出来事だった。

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