【決定版】「オール沖縄」はなぜ完敗したのか…保革連合からの変質、“辺野古転覆事故”の影響だけではない「玉城デニー」が敗れた“不都合な真実”

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“保守の一本化”における下地幹郎氏の「役割」

 過去の沖縄の知事選では、保守系の候補が複数出馬して票を奪い合い、その隙に革新側が逃げ切るというパターンが繰り返されてきた。22年の玉城氏再選も、下地幹郎氏が単独出馬して保守票を割ったことで成立している。今回、この構図が消えた。下地氏が立候補を取りやめ、自民党を中心とする保守勢力が古謝氏一本に絞られたからである。

 では下地氏が「保守一本化の功労者」なのか。いや、この評価を定着させるべきではない、というのが筆者の考え方である。

 下地氏は14年、22年と知事選に出馬してきたが、いずれも8~9%程度の得票にとどまり、自分自身が当選したことは一度もない。しかしこの規模の票は、保守と革新が僅差で競り合う沖縄の知事選では、「どちらの陣営につくかで勝敗を左右できる」というだけの重みを持ち続けてきた。

 下地氏はこれまで、自民党で当選した後に離党して自らの政党を作り、それを足場に別の政党に合流、さらに別の党へと移るというキャリアを歩んできた。つまり、特定の党に忠誠を尽くすタイプの政治家というより、その時々で自分の立場を一番高く評価してくれる相手と手を組んできた政治家だと言える。それを「政治的信念の欠如」とは論難しないが、「自己の利益を最大化する政治家」との評価はありうるだろう。

 今回、下地氏が撤退して自民党側についたのも、この延長線上にある。このまま単独で出馬を続けても、当選の見込みはほとんどなく、保守票を割って玉城氏を利するだけに終わる可能性が高かった。それなら、撤退と引き換えに何らかの見返りを得る方が得策だった、というのが冷静な計算だろう。自民党の側も、下地氏を無視して保守が割れるリスクを抱えるより、多少の対価を払ってでも一本化を確実にする方が得策だった。つまりこれは、双方にとって利のある取引だったのであり、下地氏が特別に「策略家」だったという以上に、双方が自分の利益を計算した末の、ごく一般的な政治的取引として理解するのが妥当である。

 そして何より、下地氏の撤退だけで今回の結果が生まれたわけではない。古謝氏が獲得した票は、下地票と前回の対立候補の票を単純に足した数を、さらに9万票以上も上回っている。この上乗せ分は、下地氏とは関係なく、玉城氏自身の支持者が独自に離れていったことでしか説明がつかない。下地氏が果たしたのは、「もともと今回のような結果になりやすかった土台の上で、保守票が割れるという最後の障害を取り除いた」という役割であり、それ以上でもそれ以下でもない。

争点が「基地」から「暮らし」に

 投票直前の調査では、有権者が一番重視した政策は「経済・観光・雇用」で46%、「基地問題」は26%にとどまった。長年、沖縄の選挙は「基地に賛成か反対か」が最大の争点だったが、今回は「暮らし向きをどうするか」の方が有権者の関心を集めていた。基地問題への関心そのものが消えたわけではなく、投票の判断材料としての優先順位が下がったということだ。

 出口調査の年代別の結果が、これを何より雄弁に物語っている。10代から50代まではどの世代も古謝氏が優勢(60~77%台)だったが、60代でほぼ互角になり、70歳以上になるとはっきり玉城氏が優勢になる。この60代前後を境にした切り替わりは偶然ではないだろう。70代以上の世代は、本土復帰前後の激しい政治の時代を自分自身の記憶として持っている人たちだ。その体験を実感として共有していない、それより若い世代では、基地問題を自分の政治的な立場の中心に置く動機そのものが薄れているのだと考えられる。

 先に見た通り、翁長氏逝去後のオール沖縄の実質的な担い手は、市民団体や旧社会党系、社民党員・共産党員、そして公務員・教員中心の連合組合員だった。その顔ぶれは、まさに70代以上の世代とほぼ重なる。つまり、支持基盤が高齢層に偏っていたというより、担い手そのものが高齢化し、その下の世代を補充できないまま12年が過ぎたのである。岩盤とも言える最高齢の世代は最後まで踏みとどまったが、それより下の世代がほぼ丸ごと離れてしまった。今回の年代別データは、その帰結をそのまま映している。

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