「ノーベル化学賞より研究の満足度」 化学者・白川英樹さんが逝去 「世紀の大発見を生んだ偶然とは」

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 物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は8月24日、90歳で逝去した化学者・白川英樹さんについて取り上げる。

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 2000年10月、ノーベル化学賞受賞の報に、横浜市内の白川英樹さん宅へ報道陣が押し寄せた。近所の人々はあの人がと驚いた。白川さんは畑仕事に熱心で、野菜をおすそ分けしてくれる気さくな人との印象だった。

 当時、白川さんは64歳。同年3月に筑波大学を定年退官。研究はきっぱりやめ、ゆっくりと暮らしていた。プラスチックは電気を通さないという常識を覆した業績が認められたが、喜ぶよりも周囲の騒ぎに困惑した。

 科学技術ジャーナリストの中野不二男さんは言う。

「無欲過ぎる人でした。ノーベル賞を受賞しても何ら変わらず控えめ。大発見の当事者なのに、“1960年代末から70年代にかけての研究で、私の中では終わった仕事”と淡々として手柄話などしませんでした。基礎研究の立場を変えず、成果を製品化に結び付ける応用研究には足場を移さなかった」

 導電性プラスチックは、タッチパネルの表面、コンピューターなどのコンデンサー、リチウムイオン電池ほか生活に欠かせない部分で多く使われている。

高橋尚子との縁

 36年、東京生まれ。父は陸軍の軍医。44年から高校卒業まで母の郷里の岐阜県高山で暮らす。

 00年シドニーオリンピックの女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さんの祖母、高水いね子さん(01年に90歳で他界)は白川さんの遠縁で小学校教師として白川さんを教えていた。

 尚子さんの母、滋子さんは思い返す。

「白川さんは優しくておとなしい人、外向的な感じではなかったかな、ぐらいの記憶しかありません。母の教え子であることは知っています。ノーベル賞は尚子のシドニーオリンピックのすぐ後でした。母が入院中で正直なところ気持ちの余裕はありませんでした」

 いね子さんの立場から見れば、約半月のうちに孫の金メダルと遠縁の教え子がノーベル賞という相次ぐ吉報に接したことになる。いね子さんは、曲がったことが大嫌いで、厳しいが分け隔てしない信望の厚い先生だった。白川さんの人格形成にも影響したはずだ。昆虫や植物に触れた高山での少年時代が、自然をありのままに受け止め観察する研究姿勢の原点になったと白川さんは振り返っている。

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