「コンプラ社会で一番強いのは、鈍感な人間」「ルール違反を処罰するときに、ドーパミンが」 なぜ現代社会はここまで息苦しくなったのか
「ルール違反を処罰するときに、ドーパミンが」
作家の橘玲氏はこう語る。
「人間はルール違反を処罰するときに、脳の報酬系が刺激されてドーパミンが産生されます。正義を振りかざして誰かを悪として引きずり下ろす行為は人間にとって快楽なのです」
厄介な仕組みである。
「“誰もが自分らしく生きられる社会をつくるべきだ”という価値観が共有された結果が、コンプラ過剰社会です。そうした社会では、自分らしく生きられないと感じる人は“社会の悪”を作り出し、その悪をたたき続けなければなりません。自分らしく生きられないのは自分が悪いから、という考えは受け入れ難いのです。コンプラ違反の炎上があちこちで起きるのも、自然な流れだと思います」(同)
行きつく先は、疑心暗鬼に苛まれた世界だ。
「誰からいつ加害者としてバッシングされるか分からず、変な人に関わるとロクなことがない。家族や友人などのごく小さな人間関係の中でしかリラックスして過ごせなくなる。身を守るためにも、心を許せる小さな人間関係に閉じ込もるしかないでしょうね」(同)
京都大学名誉教授の佐伯啓思氏はコンプラ過剰社会について、
「法律を遵守するというのは当たり前のことです」
とした上で、こう捉える。
「ところが現在は、法律を守るだけでなく、そこに社会規範や企業独自のルールが加わり、その範囲がどんどん拡大している。規範やルールが守られていないと“よくない組織だ”“時代遅れだ”というイメージが形成されます。結局、法律遵守よりも“私たちは適切な規範に従っています”という社会的イメージを示すことが重要になっているのだと思います」
グローバル化とアメリカ型リベラリズムの浸透
佐伯氏は、1990年代半ば以降に起こった経済のグローバル化にコンプラ社会の一つの根源があるのではないかと指摘する。
「それまで多くの企業に一種の日本的共同体のようなものがあった。社員は会社に愛着を持ち会社のために働く、という意識を持っていました。ところがこの時期以降、個人主義や効率主義、利益中心主義が強くなり、共同体としての企業文化が崩れていきました」(佐伯氏)
また、同じ時期に、
「企業評価が株価に直結する、株価中心の経営へと移行していきました。企業イメージを損なうと株価にも悪影響を与えます。さらにCSR、つまり〈企業の社会的責任〉も求められるようになった。社会的責任には評判も含まれます。本来非常に曖昧な評判というものを、企業だけでなく学校も個人も気にするようになりました」(同)
ほかにも、現代社会の基礎をなす考え方がある。
「今日でいう“多様性尊重”や“ポリティカル・コレクトネス”を含むアメリカ型リベラリズムです。グローバル化とアメリカ型リベラリズムの浸透により、それまで日本社会を支えていた常識や共通の価値観が見えなくなった。代わりに法的な正義、あるいは法律の延長のようなものが社会をまとめる役割を担うようになりました。コンプライアンスの過剰な拡大はその結果なのだと思います」(同)
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