司馬遼太郎さんに「これこそ絵だ」と絶賛され…“異色の画家”鴨居玲さんが成し遂げた「勇気の要る孤独な大仕事」
根強い人気を誇る“異色の画家”
〈とうとう死なれてしまった。〉
『司馬遼太郎の考えたこと 13』(新潮文庫)には、この一文から始まる一編が収録されている。「人間への稀有な感情」と題されたこの一編は、画家・鴨居玲さんの死去に際して執筆されたものだ。司馬さんはかねて玲さんを高く評価しており、それまでも何度か玲さんとその才能に言及していた。
玲さんが旅立ったのは1985(昭和60)年9月7日のこと。この直後に「週刊新潮」の長寿連載「墓碑銘」は、姉で下着デザイナーの羊子さんと「日動画廊」の長谷川徳七社長(当時)、そして司馬さんに直接話を聞いていた。2025(令和7)年から翌年にかけて没後40年を記念した展覧会が複数開催されるなど、いまだ根強い人気を誇る“異色の画家”。その生涯を振り返る。
(以下、「週刊新潮」1985年9月19日号掲載「墓碑銘」を、後にわかった詳細等をふまえて加筆修正しました)
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“異色の画家”の急死
「憂きもひととき うれしきも 思ひ醒ませば夢候よ……」という謡曲の一節にちなんで、『夢候(ゆめそうろう)』のタイトルで1985年5月に画集を出した画家がいる。この“異色の画家”こと鴨居玲さんが57歳で急死したのは、同年9月7日未明のことだった。
神戸市中央区熊内(くもち)町の自宅で、6日の夕方から友人の画家・岩島雅彦さんと一緒に酒を飲み始めた。玲さんは、途中で東京の「日動画廊」の長谷川徳七社長に電話をかけて、「楽しくやってますか。ええ、私は元気、元気。うすくなった頭には何がいいですかね」といったりして、夜中の3時までごきげんで飲み続けた。
ようやく帰宅した友人が、「どうも顔色が悪かったな」と引き返してみたら、ガレージの乗用車のハンドルにもたれかかってぐったりしているのを発見。かかりつけの病院に運んだが、間もなく死亡した。死去当時は持病の狭心症との関連が指摘されたが、車内には排気ガスが引き込まれていた。
自死の願望があり、「おれは長生きしすぎたな」が口癖だった。「これまでにも睡眠薬、排気ガスなどで2、3回、未遂に終わったこともあるようですよ」と友人。また、姉の羊子さん(下着デザイナー)は、「川端康成さんのように一生懸命に立派な仕事をして自死した人を尊敬していました」とも語った。
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