午前1時に「ビルから人が落ちてきた」 44人死亡の「歌舞伎町ビル火災」から25年…「何も着ていない女性も」「内部温度は700度に」目撃者や救助隊員の証言で振り返る地獄絵図

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 時の流れの早さには、改めて驚かされる──。1980年代以降、日本で多くの死者を出した火災は▼1980年・川治プリンスホテル火災:45人(註)、▼2001年・歌舞伎町ビル火災:44人、▼2019年・京都アニメーション放火殺人事件:36人──などが挙げられる。歌舞伎町に目を向ければ、今も多くの人が映画鑑賞や食事などで足を運び、トー横キッズは現代の世相を反映する社会問題として大きく報じられている。とはいえ、年若いトー横キッズたちは、わずか25年前に、自分たちがタムロする歓楽街で日本の火災史上に残る大惨事が起きたことなど知る由もないはずだ。

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 それは皮肉にも「防災の日」の大惨事だった。今から25年前の2001年9月1日未明、新宿・歌舞伎町に建つ小さな雑居ビルから激しい爆発音が響き渡り、すぐに炎と煙が一気に噴きあがった。

 この雑居ビルで発生した火災は、1982年のホテル・ニュージャパン火災の33人を上回る44人もの犠牲者を出すこととなった。

「まだ逃げ遅れがいるぞ」「もうダメだ」――一転して地獄絵図と化した現場に飛び交う怒号と絶叫。

 その時、現場で何が起きていたのか。当時の報道から振り返ってみよう。(「週刊新潮」2001年9月13日号の記事をもとに再構成しました)

「さあ、セーラー服いかがっすか、触り放題、もみ放題、1時間5000円で飲み放題、いかがっすか」

 深夜零時を回り、日付はすでに9月1日に変わっていた。

 靖国通りからコマ劇場に向かう歌舞伎町一番街に位置する「明星56ビル」前では、呼び込みたちが、週末の雑踏を行き交うサラリーマンや酔客に盛んに声をかけていた。

 火災が発生した4階建ての同ビルは、1階に歌舞伎町の大人向けサービス店の案内や割引券を置く情報店、3階にマージャンゲーム店「一休」、4階にクラブ「スーパールーズ」が入居する典型的な雑居ビル。間口は5メートルほどと狭いが、奥行きは約16メートルもあるいわゆるペンシルビルだ。

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