【豊臣兄弟!】天下一の美人といわれた、宮崎あおい「市」はなぜ「鬼」の柴田勝家に嫁ぎともに死んだのか

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織田家を守る市と簒奪をねらう秀吉の対立

 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第33回(8月30日放送)はサブタイトルが「北庄城の別れ」だ。第32回「賤ヶ岳の決闘」(8月23日放送)では、事実上の天下分け目の合戦であった賤ヶ岳合戦で、柴田勝家(山口馬木也)が敗色濃厚となったところまでが描かれた。第33回でも合戦の模様が続いて描写され、勝家の軍勢は北庄城へと撤退し、羽柴秀吉(池松壮亮)の軍勢に包囲される。そして、妻となった織田信長(小栗旬)の妹、市(宮崎あおい)とともに最期の時を迎える――。これが「豊臣兄弟!」中盤のクライマックスである。

 信長が描かれたこれまでの大河ドラマと違い、「豊臣兄弟!」には信長の正妻の濃姫が登場せず、信長の横にいる女性は常に市だった。不自然ではあったが、それは信長の死後、秀吉が主家である織田家をいかに乗り越えるか、有り体にいえば、いかに打倒するかを描くために、市を信長と一心同体の人物に仕立てた、ということだったのではないだろうか。

 第30回「清須会議」(8月9日放送)で、秀吉は市に、勝家のもとに嫁いでほしいと打診し、市はそれが「織田家のため」だと確認して、秀吉の申し入れを承諾した。そのうえで秀吉は、信長没後の新体制を決める清須会議の前の晩、信長の旧臣たちの前で勝家が市を娶るという提案をした。勝家は亡き主君の妹を娶ることを躊躇したが、今度は市が勝家を呼び出して告げた。「わたくしを娶れ」。

 この一連の流れには「豊臣兄弟!」の制作側のねらいが感じられた。秀吉と勝家の対立をよりくっきり浮かび上がらせよう、というねらいである。

 政権を簒奪する機会をうかがう秀吉は、旧体制を象徴する勝家のもとに織田家の象徴としての市を嫁がせ、新旧の対立軸を明瞭にしようともくろむ。片や市は、秀吉のねらいを見抜いたうえで、織田家を守るために、あえて旧体制の守護を自任する勝家に嫁いだ――。両陣営の争いのカタチを明瞭にする、という目的は、達成されていたのではないだろうか。

 ただ、この展開はフィクションである。フィクションとしての質は決して低くないと思うが、あらためて、史実のなかの市はなにを考え、なにをねらっていたのか、考察することにも意味があるだろう。だが、その前に、市のここまでを簡単におさらいしておきたい。

市が果たした戦国大名の娘の役割

 市は記録された没年から天文16年(1547)の生まれとされるが、異説もある。生年がそのとおりであれば、兄の信長より14歳年下だったことになる。浅井長政のもとに嫁いだのは永禄10年(1567)と考えられ、その2年後に長女の茶々(のちの淀殿)を産んだのを皮切りに、元亀元年(1570)に次女の初、天正元年(1573)に三女の江を産んでいる。

 江が生まれた年、夫の浅井長政は兄の信長によって滅ぼされた。大河ドラマや映画などでは、小谷城(滋賀県長浜市)が燃え盛るなか、市と3人の娘が城を下って逃げる様子が描かれることが多い。だが、江戸時代前期に成立した『総見記』や『浅井三代記』には、信長の軍勢が小谷城に総攻撃を仕かける前日の8月28日、市と3人の娘は城を脱出したと書かれている。また、そのころには浅井家の家臣の多くがすでに離反しており、市と三姉妹はもっと早い段階で、城外に脱出していたと考える向きもある。

 いずれにせよ、織田家と浅井家が対立しても、嫁ぎ先に実家の血を残すという戦国大名の娘の役割を、市は見事に果たしている。

 その後、市と三姉妹は、信長と市の叔父にあたる織田信次が城主を務める尾張(愛知県西部)の守山城(名古屋市守山区)にいったん預けられ、翌年、信次が死去すると、信長に引き取られ、当時の居城であった岐阜城(岐阜市)に住まうことになった。以後、しばらくのあいだ市と三姉妹の消息はわからないが、信長が安土城(滋賀県近江八幡市)に移ったのちも、嫡男の信忠の居城となった岐阜城に留まったものと考えられている。

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